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真岡鐵道 真岡線
Moka Railway Co., Ltd. / Mooka Line

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● 2017年3月訪問時
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.12.】
 私が訪問した時の真岡鐵道は、一般車についてはモオカ14形で統一されていた。本来、形式写真に使うには足回りも見えていた方がいいのだが、ホームで隠れてしまっているところはご容赦を。
 形式の「14」は平成14(2002)年から導入されたことを意味している。先代の第三セクター転換字に導入されたモオカ63形の形式番号も昭和63(1988)年から導入されたことを意味していたので、命名法が踏襲されたことになる。
 初期に導入されたモオカ14-1・2は富士重工業製で、車体長は18mあり、車内はクロスシートとなっている。方向幕は運転台側は幕式であるのに対し、側面はLEDになっている。緑の濃淡によるブロックパターンの塗装を最初に雑誌で見たときは、凝っているというよりは随分と奇抜なデザインだなと思ったものだ。
 写真の車輛はモオカ14-2で、市塙駅で撮影。
 
【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.12.】
 当初は富士重工業で製造されたモオカ14形だったが、形式にもなっている平成14(2002)年に富士重工業は車輌製造部門から撤退してしまったために、その後のモオカ14-3~9については日本車輌製造で製造が行われた。最終番号となるモオカ14-9は2006(平18)年に導入され、これ以降は増備されていない。
 富士重工業製と日本車輌製造製の車輛との間で、細かなところで仕様が変わっている。前照灯・後尾灯は、貫通路上部にまとめられていたのが左右に分かれ、ライトケースを収める都合なのか、おでこの左右が若干張り出したようになっている。そして貫通路上部には「ワンマン」を表示するための小窓がついた。貫通路の幌の取り付け部分の上部が角張っていたのがRつきのものに変わり、渡り板の部分には形式番号が入れられている。正面下部の左右に付いているのステップの色が異なっており、その下にあった小さな手すり状のものが無くなっている。また車体側面の雨樋も見た目からは無くなっている。大きな違いは車内にあり、座席はロングシートとなって定員が増加している。
 写真の車輛はモオカ14-8で、久下田駅で撮影。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.12.】
 SLもおか号で活躍する、C11 325。SLもおか号の運転を開始した1994(平6)年にはC12 66の1輛のみしかなかったため、予備的な意味を含めて1998(平10)年に導入された。C12 66とC11 325の外見上の判りやすい大きな違いはデフレクター(除煙板)の有無で、C11 325はデフレクタ-を装備する。個人的にはデフレクターがあったほうがSLの顔が締まって見えるので、好みである。
 私がC11 325を見るのはこれが2回目で、2004(平16)年5月にJRに貸し出されて磐越東線を走行したとき以来である。私はこの真岡鐵道訪問の後、TOMIXからちょうど新発売となったC11 325を購入してしまった(同時発売の真岡鐵道の50系客車は購入しなかった)。
 C11 325自体は1946(昭21)年生まれと戦後生まれで、茅ヶ崎機関区に新製配置された。1973(昭48)年に米沢機関区で廃車になり、その後新潟県の水原町立水原中学校で保存されていた。
 形式としてのC11は短距離旅客用であるため炭水車は無く小型である。1932(昭7)年から1947(昭22)年までの間に381輛が製造されている。
 写真は茂木駅で撮影。
【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.12.】
 SLもおか号が牽引するJR東日本から購入した上沼垂区の50系客車3輛は、真岡鐵道でも50系を名乗る。JR時代は赤色一色の塗装であったが、真岡鐵道では旧型客車をイメージしたぶどう色に塗装され、当初は白帯を巻いていたが(一等車をイメージ?)、2010(平22)年に現在の写真のような赤帯(三等車をイメージ?)に変更された。
 編成は茂木側からオハ50 11(JR時代はオハ50 2198)-オハ50 22(同オハ50 2039)-オハフ50 33(同オハフ50 2054)と緩急車(オハフ)は1輛のみで、固定編成のように使用されている。よって上り列車のときは、写真のように緩急車ではないオハ50 11が最後尾になるので、オハ50 11にはテールライト1灯が付く。真岡鐵道転入に際しては車輛番号が新たに付与されているが、2桁のゾロ目番号としたのは面白いところだが、何か由来があるのだろうか。また客車にはこの3輛以外の予備車が無く、大規模な検査の時にはJR東日本で行われているようなので、定期的にSLもおか号が運休になる時期があるのだろう。
 写真は久下田駅で撮影。
【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.12.】
 SL運転日に下館駅に登場するディーゼル機関車DE10 1535。
 真岡線には車庫のある真岡と終点の茂木にはSLを方向転換させる転車台があるが、下館駅にはない。真岡鐵道ではSLの退行運転での列車を設定していないので、下館-真岡 間の回送運転(下りは便宜上、営業運転している)の際にはDE10による牽引が行われている。
 SLもおか号運転開始当初は、国鉄DD13形とほぼ同性能の元・神奈川臨海鉄道DD55(DD554)であったDD1355がその役目を負っていたが、2004(平16)年にJR東日本から購入したDE10 1535と入れ替わるように役目を終えた。DD1355はSLもおか号に使用されている50系客車に合わせたブラウンの塗装が施されていたそうだが、DE10 1535は国鉄→JR時代の塗装のままだ。個人的には写真の国鉄塗装のままの方が好きだ。
 

【入手日:17.03.19./掲載日:17.04.12.】
 真岡鐵道真岡線のポケット時刻表。縦:115mm×横:276mm。赤と黒に2色刷になっているのは、ちょっとしたレトロ感を演出するためだろうか。画像上段は表紙や運賃の三角表が印刷されている。下段は真岡線の時刻表となっている。この時刻表は変則的な造りになっていて、特別な料金が必要となるSLもおか号の時刻は末行に分けられている上、列車番号の欄には「SL」と記され、本来の列車番号である「6001」「6002」となっていない。一方でSL運転日に運転されている6103列車(SLもおか号で下館到着後、ディーゼル機関車牽引で真岡に戻る列車で、区間運休となる定期列車の代走を兼ねる特別料金不要の列車)については、通常の列車と同様に掲載されている。また列車の通過駅に対しては、列車時刻表のような「レ」は使われず、5つの点が打たれている。
 画像はクリックすると拡大表示します。 
 今回の真岡鐵道訪問では、2日間かけて全駅を訪問した。実行した旅程は次の通り。
 【17.03.19.】下館1202(119)1243益子1308(124)1319北真岡1330(121)1334西田井1357(126)1442下館二高前1505(127)1518久下田1555(129)1600寺内1637(134)1658下館 【17.03.20.】下館807(109)818ひぐち827(110)830折本859(111)945多田羅955(116)1007北山1018(113)1037市塙1106(2120)1114七井1203(117)1223茂木1241(124)1248笹原田1302(119)1304天矢場1327(126)1404真岡1455(128)1519下館
【購入日:17.03.19./掲載日:17.04.12.】
 きっぷそのものはJRでの発売(下館駅で購入)だが、真岡鐵道訪問2日目に使用したので、こちらのページに掲載した。
 時期限定で、茨城県内の全鉄道線で利用できる「ときわ路パス」。茨城県内の有人のJR駅で発売される。とはいっても、真岡鐵道の栃木県内も利用可能な一方、つくばエクスプレスと離れ小島的なJRの東北本線の古河駅での利用は不可である(販売もしていない)。
【入手日:17.03.19./掲載日:17.04.12.】
 画像は下館駅で入手した、SLもおか号の整理券の販売を宣伝するJR東日本のチラシ。左側の表面には、SLの運転日と運転時刻が印刷されている。それにしても、見出しのタイトルが、"真岡鐵道"の文字を使わず、「真岡線 SLの旅」としているのは、何とも微妙な言い回しである。
 裏面の「わくわくコットンウェイランド」という言葉が気になる。チラシにもその言葉の由来が書かれているが、調べてみると江戸期から明治期にかけて真岡線沿線に当たる地域では高品質な木綿が生産されており、「真岡木綿」「益子木綿」などとして江戸・東京の街で流通していたそうだ。現在は伝統工芸品のように細々と残るのみらしい。下館駅の1番線から見える場所に「のんびり気ままにコットンウェイランド」という看板が建てられている。
 ちなみにこの地図はひとつの地域で書かれているが、筑西市だけが茨城県で、他は栃木県(芳賀郡)である。
 画像はクリックすると拡大表示します。
   
  

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