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真岡鐵道 真岡線
寺内 【次の掲載駅】 北真岡
真 岡
Mooka
● 2017年3月訪問時
【入手日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 真岡線に乗っていて思ったのは、整理券の大きさが2種類あること。幅は同じ25mmだが、長さが異なるのである。モオカ14-1,2,3,7が長い59mm(前後)、モオカ14-5,8,9が短い50mm(くらい)だ。今回乗車する機会がなかったモオカ-4,6はどちらの長さだろうか。でも整理券発行機は車内の前後に計2台設置されているので、前後で長さが違う整理券発行機を載せている可能性も無いわけではない。
 
【入手日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 真岡駅のスタンプ。堂々とした駅舎の佇まいと、C11?がデザインされている。
 
【入手日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 こちらは関東の駅百選のスタンプ。図柄は、SLの煙の形まで新駅舎オープン記念と同じ図案が用いられている。
 真岡駅の関東の駅百選認定は、1997(平9)年の第1回選定でのこと(第1回選定駅は26駅)。選定発表されたのが鉄道の日(10月14日)であるので、駅舎が完成してわずか半年後に、初回の認定を受けたということになる。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 「真岡」についてどうローマ字で綴るかというのは、考えていくと実は難しい。
 使われているそれぞれの漢字を見ていくと---。"岡"は普通は"おか"と読むが、日本の地名の中には単に"か"と読ませている場所がある。一方で"真"については、日本の地名の中に"も"と読ませる場合がいくつか見られるものの、"もう"や"もお"と読ませる例がJISの漢字規格表(JIS X 0213)の2000年版作成の際の調査ではここ以外に見つかっていないようだ。固有名詞について通例の読みを比較して論じるのは意味がないこととは承知するが、漢字の組み合わせから考えると「も・おか」と区切るのが自然で、綴りは「Mooka」と"o"を2つ重ねる方が個人的には正しいように思う。
 真岡市は自治体として「Moka」または「Mōka」と綴ることを公式としている。真岡鐵道も同様だ。それはそれで方向性のひとつとして正しく、間違いとして指摘するほどのものではない。真岡は"真"の字を"もう"と読む唯一の地名だとする、もしくは熟字訓('今日'が'きょう'と読むような、漢字2字以上で成立している読み)の扱いのように、"真岡"は2字で"もおか"と読むことにする、としてしまえば、"o"が1つであっても問題はないということになる。
 いろいろ考えていくとまとまらなくなるので、当HPでは"真岡"については漢字の組み合わせに重きをおいて「Mooka」で統一することにした。
 一部に"oo"と表記すると、"おお"ではなく"うー"と読まれるので不適切だと考える人がいるが、それは英語を気にしすぎた誤った考えである。日本語のローマ字表記は、ラテン語の文章に対応するように規格化された、あくまで「日本語」である。他方で最近のローマ字はマクロン(長音記号)を嫌う傾向があるが、積極的にマクロンを使った方がラテン語圏の方々にはちゃんと発音していただける一方で、"h"を長音に用いたりするとかえって発音できないということがよくあるらしい。そろそろ国語審議委員会は、ローマ字の使用方法を再公知させるか、読売巨人軍が始めてavexが乱用して世の中に広めた長音"h"を認めるならそのようにローマ字日本語をちゃんと規格化するとか、改正するなりしないなり、何かローマ字に対してアクションを起こすべきだと思うんだけどなぁ…。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 真岡駅の駅舎はSL形。この駅舎は真岡鐵道のシンボルとしてだけではなく、すっかり真岡市の象徴のようになっている。真岡線の下り列車に乗って真岡駅に近づいてくると、その偉容がかなり早い時点から見えてくる。
 駅舎は駅としての機能だけではなく、真岡鐵道本社の他、旅行センターや市の情報センター、交番が入居する。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 駅舎としてはこちらが正面となるのだが、SLのフォルムからするとサイドビューということになる。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 駅舎内の改札口周りの様子。観光案内所を兼ねた売店と、うどん・そば屋が入居しているのが判る。2階?部分には駅構内を眺められるようなテーブル席のようなものが見えるが、何に使われている場所なのだろうか。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 駅舎内にあったかつての真岡駅のジオラマ。精巧に出来てはいるのだが、古い感じというのを超えて殺伐とした雰囲気さえ感じる。古い時代とはいえ、その当時の鉄道はとても重要な交通インフラ、それに真岡駅は出来た当初から中心駅としての役割もあったはずで、当時の実物はもっと人の手が入って行き届いていた状態だったと思うのだが…。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 駅には駅員もおり、改札口にはラッチが設けられてはいるが、訪問時現在はきっぷなどの集札は車内で行うのが基本。島式ホームの2・3番線へは、この場を通らずとも、駅構内を渡る自由通路からの入出場が可能だ。
 ラッチの枠にあいた3つの穴がおしゃれ?
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 ホームから機関区を眺める。
 この機関区は国鉄時代からあり、国鉄時代の略号は「水モウ」で、"モオ"ではなかった。これも国鉄時代は「もうか」駅であったことが影響しているのか。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 駅に停車中のモオカ14-1(1449着/1455発 128[普通]下館ゆき)。写真では判らないが、モオカ14-1は訪問時唯一のラッピング車で、片面には沿線の桜を、もう片面は真岡のいちごをアピールする広告になっている。
 真岡駅は真岡線の中心駅で、乗降客もそれなりに多い。運転上は、全線単線の真岡線のダイヤを調整している役割があるようで、当駅で5分以上停車する列車の設定が多い。
 
 ★ 2017年3月訪問時・SLキューロク館&保存車輛
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 SLキューロク館の駅側の入口(北側)を見る。駅舎と同じカラーリングで、側面の窓ガラスも9600形の軸配置(動輪と従輪)をイメージした窓となっていて、SLを意識しているようなのだが、やはり駅舎の偉容と比べると負けてしまっているのは否めない。でも写真とは反対側の南面は、しっかりとしたSLの顔になっている(下方の欄の写真参照)。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 「SLキューロク館」の主、9600形 49671。現役時代(1920(大9)年~1976(昭51)年)は北海道内で活躍した。現役引退後に真岡市にやってきて、井頭公園というところで屋根の下、保存されていた。この場所に移動してきたのは2013(平25)年のことだ。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 SLキューロク館内に保管されているスハフ44 25。こちらも現役時代(1954(昭29)年~1987(昭62)年)は北海道内で活躍した。旧型客車ながら車輛は冷房仕様に改造されていた。廃車後は東京・船の科学館に停泊展示していた元・青函連絡船の羊蹄丸の中で保管されていた。2011年(平23)に船の科学館がリニュアールするための休館に入るのを契機に羊蹄丸の展示が終了。羊蹄丸は愛媛・新居浜東港にて解体されることになったが(2013(平25)年に解体終了)、スハフ44 25は縁あって2012(平24)年に新居浜から真岡にやってきた。
 屋内で長いこと保管されていたということもあるのか、車輛の状態は今すぐにでも走行できるのではないかと思えるほど良好だ。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 49671がデモンストレーション走行のためにSLキューロク館から出場してきた。動力は石炭火力ではなく、空気圧で動くようになっている。煙突からは水蒸気?が出るように演出されている。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 デモンストレーション走行では、ヨ8000(8593)を前位に連結して20mほどをゆっくりと走行、往復する。ヨ8593には有料で乗車することが可能。そういえば、車掌車に乗れる機会ってそうそうないことだ。この日は多くの家族連れを載せて走行していた。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 日本の鉄道史において、1形式で1000輛以上が製造され、いまだ同一形式最多製造車輛数の国内記録が破られていないD51。このD51 146も現役時代(1936(昭11)年~1975(昭50)年)は北海道内で活躍した。その後、静岡県の駿府城公園→城北公園で保管されていたが、2015(平27)年に解体撤去される直前だった同車を真岡市が引き取り、整備した。北海道を走ったSLらしく、前照灯のとなりにに副灯が付く。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 SLキューロク館の脇には4輛の二軸貨車が展示されている。下館側から、国鉄ワフ15形(ワフ16)、蒲原鉄道ワ11形(ワ12)、一畑電気鉄道(現・一畑電車)ト1形(ト60)、国鉄ヨ8000形(ヨ8016)の順で並んでいる。そのうちワフ16は日本で現存する最古の貨物緩急車だと紹介されている。
 写真は新潟の蒲原鉄道からやってきた木造の有蓋貨車・ワ12。この貨車も古参の部類になるそうだ。それより私が気になったのは、写真ではワ12の右側に表記された重量表記だ。そこには「荷重 10噸」「容積 8噸」「自重  瓲」と3行で書かれている。説明板によると自重は6.15トンだそうだが、自重が表記されていないのが不思議なのではない。なぜ、荷重(実重量)と容積(容積重量)に「噸」の文字を使い、自重の単位は「瓲」の文字が使われているか、である。「噸」「瓲」「屯」はどれも重量のトン(t, ton)を表す単位の漢字なのだが、どの字を使おうが1000kgという単位に変わりがない。よってどの漢字を使うかは使用者に委ねられるわけだが、なぜ蒲原鉄道では文字をわざわざ変えているのかが意味不明なのである。蒲原鉄道内部で何か「トン」の意味を使い分けていたのか、荷物の重さと車輛の重さとの読み間違えを防ぐためなのか…?
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 こちらはキハ20 247。真岡駅の1番線ホームからもじっくりと観察することができる。
 キハ20 247は1959年、和歌山区に新製配置された。その後の経緯は判らないが、最終配置区は当地、真岡機関区であった。JR真岡線としての最終運転日(1988(昭63).04.10)の最終列車を務めた1輛である。
 
【撮影日:17.03.20./掲載日:17.04.30.】
 写真中央にDE10の姿が見える。これはDE10 95ということ。保存車輛として真岡駅の西側の側線に留め置かれている。私が訪問したときにはナンバープレートが外されていたが、訪問1年前くらいはナンバープレートが取り付けられたままだったそうだ。その右の車輛はキハ20 213で、車輛番号は消されている。DE10の左側はワフ29500形(ワフ29760)。
 保存車輛を見ていて思ったのは、これだけの保存車輛がありながら、なぜ真岡鐵道初代車輛であるモオカ63形は(ミャンマーに渡ったモオカ63-1と-11は別にしても)保存されていないのだろうか。
 

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