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真岡鐵道 真岡線
ひぐち 【次の掲載駅】 寺内
久下田 Kugeta
● 2017年3月訪問時
【入手日:17.03.19./掲載日:17.04.25.】
 
【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.25.】
 この駅名は初見で「くげた」と読むことは想像できなかった。初めて見たときは「くしただ」と思っていた。それにしても駅名標の両隣駅の"ち"のローマ字の綴りが…。
 この地名の由来は、"久下"と名乗る人物が田畑を拓いたとか、公廨(くげ)という官職が田圃を管理していたとか、鵠(くぐい=白鳥)がいる田圃とか、諸説あるようだ。かつては久下田城なる平城があったそうだが、その場所はお隣の(ひぐち駅のある)茨城県筑西市樋口で、城下町も大半は茨城県(常陸国)側に存在し、栃木県(下野国)側には出丸と城下の一部だけがあったらしい。でも現在に地名を残すのは栃木県側だけだ。
 当駅が開業したのは真岡線開通と同時の1912(明45)年。当時は久下田町に所属していた。久下田町は当時の芳賀郡にあった3町17村のうちのひとつの「町」だった。1954(昭29)年の町村合併で二宮町となり、久下田は二宮町の中心となった。ちなみにこの町の名前は江戸時代後期に町の復興に寄与した二宮尊徳に由来するという。その後2009(平21)年に真岡市に編入された。
 この地域はイチゴ「とちおとめ」の一大生産地で、過去にはイチゴの国内生産量の年間日本一を17年も続けたという記録がある。当HPの「真岡鐵道 真岡線」のページに「わくわくコットンウェイランド」のチラシを掲載しているが、確かにその地図の久下田駅付近に「いちご」と書かれており、駅最寄りの「道の駅にのみや」に「いちご情報館」なる施設?が併設されていることも書かれている。ただ下館駅の「のんびり気ままにコットンウェイランド」の看板に書かれているのは「メロン」だったりする(笑)。確かに、メロンの生産が盛んに行われている地域でもある。
 
【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.25.】
 かつての駅舎は折本駅と似たタイプの木造駅舎であったが、1996(平8)年に旧・二宮町の多目的ホールを併設した施設に建て替えられた。駅の入口は写真の右側にあり、駅名表示の下には「(愛称 さくらの駅)の文字が入る。
 駅は訪問日現在、(栃木県)真岡市に所属するが、上りホーム側にある桜並木の向こう側は(茨城県)筑西市である。その筑西市側には駅の出入口は設けられていない。

【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.25.】
 当駅は真岡鐵道転換後も数少ない有人駅として機能していたようだが、2012(平24)年に無人化されてしまった。窓口もカーテンで閉ざされたままになって久しいのだろう。窓口の左側に見えるのは、かつて設置されていた券売機の跡ではないかと想像してみる。
 改札口を抜けると、すぐそこにホームがあるわけではなく、小さな広場のようになっており、プランターがたくさん並んでいた。下りホームへは短い階段を降りてゆき、上りホームへはさらに構内踏切を渡っていく。
 
【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.25.】
 駅構内の様子。当駅は真岡鐵道転換後の1990(平2)年に交換設備を復活させている。折本駅の交換設備復活はこれよりも後のことなので、JR時代の前後は下館-真岡 間の16kmあまりの区間が一閉塞だったということになる。これが意味していたことは、当時の真岡線は多くても1時間に1往復程度の列車があれば充分、という考えであったということである。
 
【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.25.】
 写真は駅に到着する上り・SLもおか号(1542発 6002・下館ゆき)。
 SLが到着する時間が近づいてくると、小さい子供を連れた家族が徐々にホーム上に増えていった。SLは地域の景色にすっかり定着しているようだ。
 上りホームに沿って桜の木が並んでいる。私が訪問したときは桜が咲くにはちょっとばかり早く、背景としては少々寂しいが、桜が咲く季節には写真映えもする景色に一転するだろうということは想像に難くない。「さくらの駅」と謳うだけのことはある。
 
【撮影日:17.03.19./掲載日:17.04.25.】
 駅に到着するモオカ14-5(1555発 129[普通]茂木ゆき)。
 写真右側に花壇があるのが見える。久下田駅には花で駅を明るくしようとしてる雰囲気を感じられる。おそらく地域の方々の努力で行われているものなのだろう。
 
 

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