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くりはら田園鉄道 くりはら田園鉄道線
Kurihara Den-en Railway Co., Ltd. / Kurihara Den-en Railway Line

路線リンク先
石越 若柳 沢辺 津久毛 杉橋 細倉マインパーク前

 ●1994年8月 栗原電鉄当時

【購入日:94.08.27./掲載日:20.10.09.】
 エンベロープに印刷されている日付を見ると(平成)3年=1991年とあるので、発売開始してから3年近く経っても完売していなかったということになる。昔は記念乗車券・入場券が1年以上売れ残っているケースは珍しくはなかったが、近年ではなかなか遭遇しないシチュエーションとなってしまった気がする。若柳駅で購入。縦:75mm横:182mm。

 


【購入日:94.08.27./掲載日:20.10.09.】
 番号:03091。縦:65mm横:172mm。
 画像は上段が1枚目がおもて面で、中・下段が2枚目の表裏の両面である。1枚目の裏面はきっぷ番号と会社名が入っているが、他は何も印刷されていないので、掲載を割愛した。同じ形式名というだけで全く別物のM181も記念乗車券の写真に姿を載せているが、この当時のM181の塗色は正面と側面の上部が青ではなくて、正面上部だけが淡いグレーのような塗色であった。この色合いは、なんだか頭を丸坊主に刈り上げてしまったような感じに見えてしまう。
 それはともかく、本題の増備されたM182・183は、元・福島交通飯坂線に導入されたモハ5300形。1971(昭46)年にモハ5318・モハ5319の2輛が製造された。1966(昭41)年に福島交通が導入した2輛固定のモハ5114+クハ5215の姉妹車とも言える車輛だが、違いは単行運転を想定して両運転台、正面貫通式となった点である。しかし飯坂線では2輛編成での使用が常態化しており、単行運転される機会は殆ど無かったという。ちなみに5300形の車輛番号が18から始まているのは、福島交通では車輛番号を全形式を通して付番するところにあるらしく、この後導入される元東急5000系を750Vに降圧したデハ5000形は20から付番されている(1500V昇圧後はこのルールはなくなっている)。1991(平3)年に飯坂線の1500V昇圧が実施されると、従来の750V車は使用停止、廃車となる。
 5300形の2輛は昇圧の同年に栗原電鉄に移籍し、M18形 M182・M183となった。M181とは全く違う性格ながら、同じM18形を名乗ったのは、栗電が形式に車体長を採り入れるというルールがあったためである。先輩であるM181であるが、M182M183の導入によって、その後は予備車的な役回りとなり、イベント車に改装されることになる。栗電に来てからの2輛は、M18形の2輛編成で運用すると変電所に負荷がかかるということで、基本的に単行で使用することが多くなり、2輛で運転するときは相方にM15形またはC15形を連結することになってたという(実際に連結運転の実績はあったのかなぁ…。)。しかしM182・M183には不運なことに、栗電に来て僅か3年半で路線の電気運転が終了(1995(平7)年)ということであえなく廃車ということになってしまった。非電化後は長く若柳駅構内に留置されていた。M182については県立迫桜(はくおう)高校(2001年度に県立栗原農業高校と県立若柳高校が合併)の生徒用の駐輪場として車内が開放されていたそうで、後に出入りに使われていた片側面だけが東武のセイジクリームのような白一色で塗られたそうだ。解体されたのは2009(平21)年だという。栗電では、運転された時間より留置されていた時間の方が長かった。
 

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