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くりはら田園鉄道鉄道 くりはら田園鉄道線
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石 越 Ishikoshi
 ●1994年8月 栗原電鉄当時
【購入日:94.08.27./掲載日:20.10.09.】
 番号:4297。栗電の入場券には、朱の太線が横に一本入っているタイプ。地模様は無い。裏側には券番号が左右に計2カ所判押しされていて、中央に「栗原電鉄」の文字が入る。
 
【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.09.】
 出入口に円くせり出したひさしが特徴ある駅舎。駅名の表示がひらがなで書いてあり、なんか和菓子屋っぽい感じがしないでも無い(笑)。ただ当時は、壁の白い塗装は所々剝げ、屋根もずいぶんと錆が浮いているような状況であった。古い駅舎が好きな人にはいい雰囲気かもしれないが、鉄道の玄関口の駅としてはもっと手入れした方がいいのではないかと思った。
 後年、くりはら田園鉄道になったのちいは塗り直されたようで、白壁はきれいに直され、屋根も青緑っぽい色に塗り直された写真がネットなどで上がっている。
 掲載日現在はすでに取り壊されて姿は無く、この場は駅前駐車場となっているようだ。
 
【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.09.】
 おそらくJRのホームから撮影したもの。
 栗電のホームには、駅名標よりも目立つ看板が掛けられており、そこには「みんなの足だよ 栗鉄は 乗って残そう 孫子のために」と書かれていた。その下には連名で、石越町・若柳町・金成町・栗駒町・鶯沢町の5町の名前が書かれていた。この当時の栗電は、三菱マテリアルの傘下から切り離されて第3セクター会社として歩み始めたばかり。鉄道経営に難渋して譲り渡されたという経緯があったので、地元自治体にも、鉄道はとりあえず残したものの、永続的に経営するための危機感があったのだろうということが文面から覗える。それにしても鉄道の略称が"栗電"ではなく"栗鉄"となっているのは、ちょっとだけあれぇ? と思ってしまったのだが、地元では"栗鉄"という愛称も普通に使われていたのかもしれない。
 ちなみにこの大書きの看板は、他のいくつかの駅で同じものを見ることができた。でもこのテの看板を駅に掲示しているのは余所でも見るが、駅だけでなく、鉄道施設とは関係ない人目につくところでも掲示した方が少しでも効果が上がるんじゃないかと思う。
 
【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.09.】
 栗電のホームは頭端式の線路が1本のみで、当然ホームも1本のみだ。車止めの脇(写真右下)には0kmポストが見える。
 この写真を見てて気になったのは、架線が触っているパンタグラフの位置が左側のパンタグラフの枠の直上と、かなり左に寄っているところだ。実際の電車では架線との摺り位置につてどのくらい左右の振り幅があるのかは判らないが、これを見てるともうちょっとでパンタグラフのホーン(カーブして下向きになっているところ)の位置にかかってしまいそうである。…まあ実際に架線に接触している摺り板の部品幅からはみ出すことはないとは思うし、路線の場所的には行き止まりの目の前で、異常が無ければ電車のスピードが出るような場所ではないので問題ないのかもしれないが。
 写真はM18形のM182(928発)。
 私が訪問したときは、M182・M183が栗電で活躍できた約3年半の末期ということになるのだが、私はこの訪問の時には写真のM182を見たものの、M183の姿を拝むことはなかった。M183は車庫で検査でもしていたのだろうか…?

 ◆写真の列車情報◆ M182 928発 石越→細倉マインパーク前
 
【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.09.】
 ホームの細倉側から駅構内を見る。ホームは基本的に石積みとコンクリートブロックで構成されているが、細倉側のちょっとの部分だけ枕木を流用したような木造になっていた。
 写真の左側(JRホーム側)は駐車場になっている。この場所は貨物輸送が佳境を呈した時代には貨物ホームとなっていた。しかしこの場の栗電の線路は元より1本のままだったように見受けられる。どうやら貨物列車は旅客列車不在時(または旅客列車を貨物受渡線に待避させて)にこの旅客ホームに入線し、栗電の本線と石越駅の北にあった貨物受渡線との間の移動のためにスイッチバックしていたようだ。 栗電の線路は木製枕木が使用されていたが、石越駅の構内だけは貨物が営業していた時代にはPC枕木に交換されていた(使用開始時期は不明)。
 
【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.09.】
 かつて石越駅の北側には、栗電で運んできた貨物を国鉄に引き継ぐための貨物受渡線があった。石越で中継された細倉鉱山からの貨物はどこへ運んでいたかは判らないが、線路の配線としては細倉側から仙台側へはスルーできる線路は無かったと思われる。よってかつて多客期に運転されていた仙台-細倉 間を直通する臨時列車「栗駒フラワー」「栗駒もみじ」は、下り列車の場合は国鉄駅で旅客扱いをした後、貨物受渡線まで一旦北上して方転して栗電駅に入り、再度方転して細倉へ向かったものと想像される(上りはその逆)。国鉄も栗電も電化路線ではあったが、交流50Hz・20kVと直流750Vという違いもあって、臨時列車は気動車での運転であった。
 貨物取扱については、1986(昭61)年の細倉鉱山閉山したことから、国鉄駅の車扱貨物の使用停止は同年10月、その翌年3月に栗電の貨物営業廃止ということになっている。おそらくこの時期の前に貨物受渡線は使われなくなっていたものと想像される。
 訪問時、その貨物取扱線には1輛の電気機関車が停車していた。これはED35形 ED351とのこと。元は1955(昭30)年に東武日光軌道線に投入されたED610形 ED611で、古河電気工業で生産された銅製品を清滝-国鉄駅前 間で貨物輸送する任を担っていた。1968(昭48)年に日光軌道線が廃止され、1969(昭49)年に西武所沢工場で改造されてED351(2代目)となり栗電入りした。入線当時の車体色は、ペールブルーというか薄いグレーというかの1色塗りだった。栗電では貨物輸送の主力機として活躍したが、1987(昭62)年の貨物輸送の廃止でお役御免となった。
 撮影当時、既にED351は個人に買い取られたという話があった。現在はその個人によってであろうか、栃木県内で、同じく日光軌道線で活躍した元100形(最終配置は岡山電気軌道)と共に保存されているという。
 
 

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