くりはら田園鉄道鉄道 くりはら田園鉄道線 | |
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細倉マインパーク前 | Hosokura-Mine-Park-Mae |
●1994年8月 栗原電鉄当時 | |
【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.16.】 当駅は後発駅ということで、駅名標も他駅と異なる。 |
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【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.16.】 時刻表と運賃表。当時の栗電を片道全線乗車すると千円弱がかかることが解る。ちなみに当時の栗電には1日乗車券のようなフリー切符は販売されていなかった。 |
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【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.16.】 駅舎は青緑色のとんがり屋根の特徴的な建物ではあるが、山小屋風というにはちょっと微妙な外観の造りである。その手前にはデザインを真似たそば店が建てられているが、その建屋のおでこ部分にも駅名が表示されているのが面白い。駅名が表示されているからといって、きっぷを委託販売していたとかそういうわけではない。おそらく駅舎が奥にあるため、道路側から見ても駅の存在を判ってもらうために駅名が入れられたのかもしれない。写真の右側に、ED202とワフ71が保存されている(下欄参照)。 掲載日現在、手前のそば店の建物は撤去されていて現存しないが、駅舎やホームは残されている。 |
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【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.16.】 当駅の駅前に保存されていたED202とワフ71。同じ場所には腕木式信号機も保存されていた。この様子は塗色の色褪せや錆の発生などがある以外は、掲載日現在も大きく変わっていないようだ。 1980(昭55)年の時点で栗電に在籍していた貨車はワフ7形 ワフ71~74とト10形 ト101~103の計7輛があったたが、訪問時で籍を残していたのはワフ74、ト102、ト103の3輛だけであった。 木造の有蓋緩急車であるワフ7形は、1914(大3)年製の元・武蔵野鉄道の車輛で、1947(昭22)年に西武ワフ16~19となっている。1955(昭30)年の1067mm改軌時のにワフ17~19が入線してワフ71~73となり、遅れて1959(昭34)年にワフ16が入線してワフ74となった。廃車はワフ72が1978(昭53)年、ワフ73が1983(昭58)年、ワフ71が1987(昭62)年、ワフ74が2005(平17)年。栗電入線当初は地域の米や農産物の輸送に使用され、末期は除草剤散布の保線用に使用されたというが、1987(昭62)年の貨物営業廃止後はあまり稼働していなかったようである。 木造の無蓋車のト10形は、1907(明40)年に播但鉄道が購入したト3377~3379で、後に買収した鉄道省を経由して、1949(昭24)年に西武鉄道ト74~76として入線している。そして改軌年の1955(昭30)年にト101~103としてワフ71~73と同時に栗電に入線した。ト101は1983(昭58)年に廃車となるが、他2輛はワフ74とともに廃線2年前の2005(平17)年まで在籍した。栗電での用途はバラスト輸 送などの保線用としてだった。ト10形は明治生まれということもあるのか、空気ブレーキが装備されていなかったという。 掲載日現在、ED202とワフ71はそのまま同じ場所に置かれているようだが、芳しいとは必ずしも言えない状態のようだ。 ※ ED202の説明は別稿で。 |
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【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.16.】 ホームの石越側から、旧・細倉駅を見る。旧駅の現役時代の構内は、ホームに接する1線と側線2線の計3線の構成だったようなので、基本的には大きく変わっていないようだ。ただ訪問時は、マインパーク駅側から旧駅のホームにつながる線路はホーム手前で車止めによって断ち切られていた。一見不思議な断線方法であるが、もしかしたらマインパーク前のホームと断線した線路に1編成ずつ留め置くことができるように考えたのかもしれない。ちなみにこの線路は、電気運転廃止前に行われた貨車の特別運行では、ED201とワフ74の編成位置入れ替えのために使用された。ちなみに貨車の移動は手押しで行われた。(上り編成は、[石越]← ED201+ト102+ト103+ワフ74) 当時、旧駅はもちろん駅としては使用されてはいなかったが、駅舎は事務所として使用されていたという話があった。 |
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【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.16.】 当駅のホームは、旧・細倉駅と、貨物専用の細倉鉱山駅のあった現在の細倉金属鉱業(細倉鉱山←三菱金属鉱業)の敷地を結んでいた線路の途中に設けられていた。ホームの反対は住宅地がそばに迫っており、狭隘な感じを受けた。 1987(昭62)年に細倉鉱山が閉山すると、貨物輸送が1998(昭63)年に廃止され、このとき一度、細倉-細倉鉱山 間は廃線となった。しかし1990(平2)年に鉱山跡地の一部にテーマパーク施設である「細倉マインパーク」を開業した際に、廃線を利用して少しでも施設に近い場所に開設したのが当駅ということになる(書類上は細倉駅構内でのホーム移設か?)。栗原電鉄としては、失った重要な収入源であった貨物輸送の代わりに、少しでも細倉マインパークを訪れる観光客の利用で収入を増やそうと行った施策であったことが見て取れる。結果的にはこの旅客輸送は栗原電鉄→くりはら田園鉄道に大きなインパクトは与えなかったのではないかと思う。それともうひとつ、当駅改札から細倉マインパーク正門の間は1km弱の距離があり、しかもパークに向かっては登りの片勾配坂であったので、無料のシャトルバスを用意できなかったのかな、と思わないこともない。 細倉マインパークは掲載日現在も営業を続けており、変わったところでは砂金掘りができるアトラクションがあるそうだ。 ◆写真の列車情報◆ M182 1012着 石越→細倉マインパーク前<折返>1018発 細倉マインパーク前→石越 |
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【撮影日:94.08.27./掲載日:20.10.16.】 M182の車内の様子。淡い水色の壁色に、青いモケットの座席など、いかにも昭和中期に製造されたというのが感じられるシンプルな内装である。つり革は、握り手の部分が上部の網棚の金属パイプに当たるのにちょうどいい長さに調節(??)されており、走行時は車体が揺れるたびにカンカンとよく当たっていた。 |
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