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三岐鉄道 北勢線
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西桑名 Nishi-Kuwana
 ●2015年10月 訪問時
【購入日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 番号:0340
 日付の刻印はスタンプである。
 
【購入日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 デザインはクハ171、桑名宿側の七里の渡し跡と、はまぐり。
 電車は「171」の番号が見えるので「クハ171」な筈なのだが、なぜかパンタグラフが載っている。後ろの車輛のパンタが見えているのであれば、それでは絵的にバランスがおかしい。パンタグラフが載っているのはモハ270形なので、何かを間違ってしまったのだろう。
 七里の渡しとは、かつて東海道の宮宿と桑名宿を結んだ、伊勢湾を渡る渡し船のこと。潮待ちというのもあっただろうが、桑名宿は東海道と伊勢参りの往来があり、東海道の宿としては一、二を争う宿数を誇ったそうだ。
 はまぐりといえば桑名の名物。“騙されない”の言い回しである「その手は桑名の焼きはまぐり」という言葉を思い出させる。かつては全国から集まるお伊勢参りを中心とした多くの人が桑名宿を利用していたこともあって、全国的に広がって残っていった言葉なのだろう。
 そういえば、私はこの訪問の時にはまぐりを食べなかったなぁ。ちなみに私は西桑名駅近く、異なる3つの軌道の幅を渡る踏切のそばに宿をとった。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 三岐鉄道のローマ字表記は、○○式ローマ字のどれにも当てはまらない、あえて言うなら「三岐式ローマ字」である。正式な「訓令式」「ヘボン式に」に当てはまらないこともさることながら、全て大文字で表記する「国鉄式」のように思わせてハイフンは使わない、長音の表記がパソコンのキーボードでのローマ字入力を意識した「99式」だったり、問題児の「パスポート式」のようでそれにも当てはまらない表記になっている。
 当駅の名前は、旧・桑名町の西側にあった旧・西桑名村から由来するものであれば、「国鉄式」なら“NISHI”と“KUWANA”の間にハイフンが入るところである。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 駅舎の様子。駅舎の前にはアーケードのように屋根が掛けられているために、駅名があまり目立たなくなってしまっている。JR・近鉄の桑名駅とは離れているのだが、残念ながらこの屋根はそちらまでは繋がっていない。
 西桑名駅というと、駅名が桑名駅の方角と一致しない駅名として知られている(同様なケースに京浜急行の北品川駅がある)。上項にも書いたように、当地が旧・桑名町の西にあった旧・西桑名村にあったことが由来とされている。ただ北勢線ができた当初、当駅は開業当時の村名である「大山田」を名乗っており、「西桑名」は伊勢電気鉄道(現・近鉄名古屋線)の益生駅が名乗っていた。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 駅の入口は、上項の写真では、中央からやや左寄りにの駅名標が標示され改札口が正面になる入口と、桑名駅側にある待合室横の入口の2箇所がある。当項の写真はそのうち後者の入口の方から窓口と改札口がある方向を撮った写真になる。駅名標示が2つ見えるのがちょっとおちゃめである。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 改札口周りの様子。自動改札機だけで3通路あるのは北勢線では最大数である。その他に有人改札の通路がひとつつく。さすがに線内最大の利用者数を誇る駅だけのことはある。自動改札機は三岐カラーの黄色とオレンジの2色が使われていて目立つ。他の駅の自動改札機も同様のカラーリングである。
 列車の発車案内は行灯式なっており、阿下喜・楚原・大泉・東員の4駅と空白の5マスの表示欄を持っている。窓口周りの雑多とした雰囲気は、ローカル駅っぽい雰囲気を醸し出していてGoodだ。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 ホームから線路の末端を見る。この線路が開業当初からの位置を通っていたかは判らないが、方向的にはそこから右へ曲がった100mくらい先に旧・西桑名駅(1982(昭52)年7月まで)があり、さらには桑名京橋まで線路が延びていた。正面に見えるビルは「桑栄メイト」という商業・事務所・住宅が入った複合ビルだそうだ。その左に見える白い低い建物が、JRと近鉄の桑名駅になる。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 写真の車輛は200系。北勢線1形式1編成の車輛である。
 出自は1959(昭34)年生まれの三重交通三重線(現・近鉄湯の山線)の4400形で、3両で4台車の連接車という特殊な車輛である。その特殊な構造故に湯の山線から北勢線に転属したのちの1971(昭46)年に電装解除、運転台撤去が実施されて、客車同然の取り扱いでモニ220形(といっても荷電ではなく、国鉄風にいえば「クモハニ」に相当する)に牽引されて使用されていた。その後1977(昭52)年に写真のク202(現・クハ202)に運転台が復活し、阿下喜側に新製のモ270形(現・クモハ270形)が連結されて、現在のプッシュプ・ル運転のような4輛編成の形態になった。
 北勢線が近鉄から三岐鉄道に移管された際、塗色が近鉄マルーン色から黄色い三岐オリジナル色に塗装変更されている。その際、先頭運転台の窓の周りは他車同様黒く塗られていたが、上辺が栗の実のように鈍角に尖った形をしていた(近鉄時代の塗り分けと似ているが、丸く膨らんでいて尖っていない)。2013(平25)年10月からは写真のような三重交通時代のツートーンカラーの復活塗装となっている。

 ◆写真の列車情報◆ K77編成 クハ202(+サハ101+サハ201+クモハ277) 823発 西桑名→阿下喜(※ この北勢線巡りでの列車番号は不明)
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.01.】
 写真の車輛は270系。1977(昭52)年にモ270形(現・クモハ270形):6輛と、ク170形(現・クハ170形):2輛が新製され、1990(平2)年に写真の車輛と顔が異なるモ270形:1輛が新製されている。これまでの北勢線の車輛は11mあまりの車体長であったが、270系では15m級と長くされている。現在北勢線で電動車はクモハ270形しか存在せず、全て阿下喜側に連結して、同系・他系の付随車2、3輛と組んで使用されている。体裁としては電車ではあるが、編成的には最近ローカル線で運転されている観光トロッコ列車のようなプッシュ・プル運転に近いものがある(勿論全車ブレーキは装備していますが)。

 ◆写真の列車情報◆ K75編成 クモハ275(+サハ135+クハ145) 1556着 阿下喜→西桑名
 
 
【撮影日:15.10.10./掲載日:15.12.01.】
 桑名駅の南方に、3つの幅が違う線路を跨ぐ踏切がある。北勢線の762mmの踏切には“西桑名第2号踏切"と名前がついている。
 機械としての踏切は近鉄は単独動作(益生第4号踏切)で、三岐とJR(構内踏切(←というシンプルな名前))は共用になっている。この踏切は北勢線の最も起点側の踏切なのだが、名前は“第2”を名乗っている。かつて西桑名駅はすぐ隣のバスターミナルの場所にあったので、移転前には旧駅とこの踏切の間に"第1"踏切があったということなのだろう。
 実はこの看板、踏切に対しては内側に取り付けられており、同じものが背中合わせに反対側に掲示されている。写真の側のものはおそらく本来ならばJR側の警報器の近くに標示すべきものだったのだろうが、そちらにはJRの標示があるために取り付ける場所がなかったのだろうと推測する。
 撮影日は上記とは別の日。
 

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