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三岐鉄道 北勢線
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桑名京橋 Kuwana-Kyōbashi
 ●2015年10月 訪問時
【撮影日:15.10.09./掲載日:16.01.13.】
 線路跡の道路脇の電柱には「京橋町」の住居表示が。
 1914(大4)年に駅が開業した当初は「桑名町」を名乗っていた。第二次大戦の末期に被災してしまったために、そこから3年ほど休業を余儀なくされた。国土地理院の空撮アーカイブには戦後に米軍によって撮られた桑名の写真があるが、川の中洲などには爆弾投下の跡が生々しく残っているのが判る。そして1948(昭23)年に再開業する際に、公募によって「桑名京橋」の名前が与えられたという。
 
 
【撮影日:15.10.09./掲載日:16.01.13.】
 写真は、かつてホームがあったと思われる四日市屋旅館の前から線路末端があった貨物線の方向(東側)を見たところ。
 JTBキャンブックスの「近鉄の廃線を歩く」という本の中にも、桑名京橋-西桑名 間の廃線が紹介されているが、そこに掲載されている地図上の廃線の書き込みは、国土地理院の空中写真撮影サービスと比較すると明らかに異なる。キャンブックスの鉄道シリーズは良質の資料が揃っているが、そういう中でもたまに、まあ、こういうこともある。私には、情報をひとつだけで信用すると危ないよ、という勉強になった例であった。あと空中写真閲覧サービスを見ていて個人的に推測しているのは、駅構内の敷地は一部、細めの水路を埋め立てて作られていたようで、その水路は道路の左側を流れていたようだ。元の駅舎もその元水路上に建てられていたように見受けられる。
 元々は港に近い当地を含む地域が桑名の中心街であったのだろうが、時代とともに舟運から鉄道貨物に移っていき、中心地が桑名駅のある西側へ動いていったのだろうと想像する。そのようなことも桑名京橋駅の廃止につながっているのかもしれない。しかし訪問時の当地周辺は高層の建物は少ないが、住宅が密集した地域である。
 
 
【撮影日:15.10.09./掲載日:16.01.13.】
 左の建屋は「四日市屋旅館」。一部の本やいろんなHPを調べていると、「四日市屋旅館」=「桑名京橋駅跡」と捉えているものをよく見る。個人的にはそれは間違いでは無いとは思うものの、厳密に書くと旅館の土地は桑名京橋駅の駅前広場を含んだ駅跡で、駅舎は奥の道路に近い場所にあったと思われる。あまり確証の無いまま写真を撮りに行くと、私のような写真の記録しか残せないような中途半端な事態になってしまう(苦笑)。
 
 
※ 「桑名京橋」について、駅が廃止された当時(1961(昭36)年)は三重交通の経営下であり、その後の近鉄や三岐鉄道の時代に同駅は存在していない。しかし当HPでは便宜上、「三岐鉄道北勢線」として整理する。

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