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阪神電気鉄道 本線・武庫川線
尼崎センタープール前 【次の掲載駅】 鳴尾東鳴尾
武庫川 Mukogawa
 ●2017年10月 訪問時
【購入日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 
 

【入手日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 当駅のポケット時刻表には、武庫川線の武庫川団地前駅の時刻表も印刷されている。未確認ではあるが、武庫川線の中間駅である東鳴尾と洲先のポケット時刻表は駅が無人駅ということもあって存在しないと思われる。まあ東鳴尾・洲先・武庫川団地前の乗降客のほとんどは武庫川や阪神本線に乗り換える利用者だと思われるので不都合はないのだろう。でも武庫川団地前駅にしてみれば、そのタイトルのポケット時刻表が無く、かわいそうな処遇だ(笑)。
 それぞれの画像をクリックすると、拡大表示します。

 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 武庫川上にある阪神本線のホーム。駅としては1905(明38)年に開業しているが、当時の駅は現在よりも下流の位置にあり、ホームも左岸(東の尼崎市側)の地上にあったそうだ。1920(大11)年の武庫川の河川改修で現在の位置に線路が北上し、駅用地の買収費用を抑えるために川の上にホームを造り、同時に西の西宮市側の住人にも利用しやすいように、線路に沿うように下流側に人道橋が整備されたそうだ。この人道橋は、後に開業する武庫川線との改札外乗換連絡用としても使用されることになる。
 この写真には川の中に橋脚の跡のようなものが写っているが、これは旧線の橋脚というわけではなく、何かは不明。また手前のホーム用フェンスの後ろに見える背が低いフェンスは人道橋のものである。
 ちなみに、かつてはたびたび氾濫を起こした武庫川ということもあって、阪神電鉄では台風などが来る前には駅と橋の状態の安全確認を行っているそうだ。たしかにここがダメージを負うと、長期不通なんてことになりかねない。通常、水面は桁下5mの位置にあるそうだが、かつて大雨で桁下70cmまで水嵩が増えたことがあったそうだ。
 武庫川自体は篠山市南側をスタートし、三田市、宝塚市の六甲山地の東縁を流れて当地にたどり着く2級河川。ちょうどこの駅あたりから海水が混じり合う汽水域になるそうだ。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 武庫川左岸(尼崎市側)にある本線下りホーム側の駅舎。駅名の表示は駅舎内の青い吊り看板の所に見えるが、表立って大きな標示はされていない。この駅舎の左側にかつて改札外乗換連絡用にも使われた人道橋がある。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 上の写真から踏切を渡った側にある本線上り側のホームの駅舎にも、目立つような駅名の表示が無い。下り線側とほぼ左右対称だ。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 本線のホームは橋上に設置されていることは上項でも書いたとおり。こうやって写真を見てると近鉄車でも10輛編成が停車できそうな雰囲気があるが、現状はもちろん停車不可である。
 しかしこの涼しげな雰囲気は、駅に納涼床とか造って何かイベントをやったら面白そうだが、お酒関係が絡むのは問題がありそうだし、そもそもホームの幅にそんな余裕はない。あくまで個人的な空想の範囲に留めておく。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 橋上のホームで上下列車が顔を合わせる。

 ◆写真の列車情報◆ (左)5703F 1100発 [普通]梅田→高速神戸
              (右)8245F 1102頃通過 [特急]須磨浦公園→梅田
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 写真の近鉄5800系5802Fは2014(平26)年に近鉄奈良線開業100周年を記念して、「ヒストリートレイン」ラッピングをまとっている。○周年記念ラッピング列車というのはだいたい1年前後だけまとっている事が多いのだが、3年経ってもそのままというのも珍しい気がする。

 ◆写真の列車情報◆5802F 1104発 [快速急行]神戸三宮→奈良
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 武庫川線の駅名標。ホームは武庫川の右岸にある。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 武庫川右岸側(西宮市側)の駅舎は本線ホームにある駅舎よりも立派である。駅の表示も阪神らしい正方形に漢字1文字を並べるタイプだ。この駅舎は武庫川線が武庫川団地前駅まで延伸されるのを機に造られたそうだ。とすると1984(昭59)年頃の建物ということになる。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 西宮市側駅舎の改札口。自動改札のラッチ数は3通路と意外に少ない。改札に入り右に曲がると武庫川線のホームに行けるのだが、すぐそこにはまた改札口がある。この武庫川線専用の改札のラッチ数は6通路と出入口よりも多い。この場では乗換利用の方が多いようだ。
 それにしてもこのように自駅の改札以外の改札口を設けている駅というのも珍しい。関東にも東武の西新井駅に大師線・大師前駅の役割の改札口が設置されている例があるが、対象駅は1駅なので特に問題が無いと思われる。ただ武庫川線については対象となる駅が複数あり、例えば尼崎-東鳴尾は140円で、尼崎-洲先は190円と異なり、東鳴尾と洲先が無人駅あることを考えると、乗務員に申告しない限り尼崎-洲先でも140円で利用できてしまうという"穴"がある(武庫川団地前駅については自動改札があるので、とりあえず誤用は防げる)。東鳴尾と洲先は400mしかなく、尼崎からのように両駅への料金が異なるというのはかなり限られた駅でしか発生しないわけだが、どうせだったら両駅については同一料金扱い(見なし同一営業距離扱い)にしてしまった方がすっきりするのではないか思う。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 当駅は1面2線の構造だが、西側(写真左側)のホームは利用されていない。架線は張られているものの、話によると信号機関連の設備が備わっていないために営業用には供せないとのこと。なんだかちょっと勿体ない。
 現在は島式ホームとなっているが、かつては対向式ホームの2面2線の状態であった。また阪神本線の駅とは改札外を武庫川に架かる橋を渡っての乗換連絡であった。現在のように島式ホームとなり、本線と駅構内が直結されたのは、1984(昭59)年の武庫川線の武庫川団地前駅延伸される時期であった。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 折り返し、発車を待つ武庫川団地前ゆき。武庫川線全線の片道の所要時間は5分(東鳴尾で列車交換がある時間帯は6分)なので、20分間隔時には半分の時間は走って、あと半分は休んでる勘定になる。結構慌ただしい設定だ。
 ◆写真の列車情報◆ 7966F 1021発 101[普通]武庫川→武庫川団地前
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 武庫川線での列車運用は所要2本で賄われている。ただ20分の運転間隔になる日中などについては編成1本で間に合うため、使われないもう1編成は休んでいることになる。その休憩に使われている場所は武庫川線ホームの北側に延びる線路上で、本線の高架下になる。
 写真の編成は7964F。写真は本線ホーム南側に並行して架かる人道橋(改札外)の上からの撮影である。電車の前には標識が立てられているが、おそらく移動禁止の標識なのであろう。電車の上に架かる人が歩いている通路は西宮市側駅舎と本線下りホームを繋ぐ改札内通路で、本線線路はその向こう側にある。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 武庫川の右岸堤防の上から、武庫川線ホーム北側で休憩中の7864Fを撮る。
 本線と武庫川線の線路のは90度で交わる立体交差の位置関係にある。そのため武庫川線の電車を尼崎の車庫と出入りさせるために、写真右に見える武庫川線と本線を繋ぐ短絡線が使用される(武庫川駅付近の線路の線形だけ見ると数字の「4」の字の形をしている)。連絡線部分は訪問時現在は日に2回しか使われないとのこと。電車の右に連絡線にある踏切が見えるが、面白いことに線路側に柵が設けられており、線路に人が立ち入れないようになっている。連絡線は写真右方向にある本線の上り線と繋がっていて、そこは武庫川信号場という場所になっている。ただそこには下り線との渡り線が存在しない。そのため出庫ルートについては、尼崎から一旦武庫川を通り越し、甲子園まで行って西側にある引込線に入り、折り返して上り本線から連絡線に入ってくる。逆に入庫ルートについては、連絡線から上り線に進出し、信号場西側の本線上で折り返し、尼崎に向かうことになっている。
 写真部分の武庫川線の架線はコンパウンドカテナリー式で張られているのだが、本線高架をくぐる部分は高さが充分取ることができず、通常はかなり幅がある吊架線と副吊架線の間隔をぎりぎりまで狭めて無理矢理?コンパウンドカテナリー線の体裁を保っている。ちなみに連絡線側はシンプルカテナリー式になっている。
 左の写真にロールオーバーさせると線路の方面を表示します。
 
【撮影日:17.10.13./掲載日:18.01.23.】
 武庫川駅北側の入替線部分にも踏切があるのだが、上項の写真同様に柵付きの踏切となっている。この踏切は住宅地と武庫川堤防を通路になっていて、堤防と踏切の間に鉄製の踏台のような階段が設置されているのが面白い。かつてこの入替線部分には分岐して2つの行き止まりがあったが、阪神淡路大震災後に堤防側の線路が撤去されたとのこと。
 現在は回送車しか走らない線路であるが、戦争末期には北にある国道2号の武庫大橋の袂のあたりにあった武庫大橋駅まで電車が営業し、さらにその北側へは国鉄の西ノ宮駅まで繋がる貨物線と繋がっていた。国鉄と阪神では軌間が異なるため、武庫大橋-[初代]洲崎 間(現在の武庫川団地前付近)は三線軌条になっていた。
 
 

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