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近江鉄道 本線
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彦 根 Hikone
 ●2016年10月訪問
【購入日:16.10.06./掲載日:26.06.14.】
 番号:1210、裏に線引きあり。
【購入日:16.10.06./掲載日:26.06.14.】
 こちらは券売機のきっぷ。地模様に近江鉄道の社章が入るオリジナルの地模様であるが、訪問当時に自動券売機を設置している近江鉄道の駅は他に八日市駅しかなく、入手できる機会は意外に少ない。
 

【購入日:16.10.09./掲載日:26.06.14.】
 近江鉄道訪問の旅程4日目に購入した1デイ スマイルチケット。この日は駅巡り最終日で、残っていた未乗降の近江鉄道の駅を午前中に訪問し、夕方の帰途に新幹線に乗車するまでの間いくつかのJR駅を巡り、この旅を終了した。

【訪問時の旅程】16.10.09.(日):彦根851-923河辺の森943-955豊郷…(旧豊郷小学校見学)…豊郷1054-1102五箇荘1118-1131尼子1149-1157愛知川1222-1244彦根
【撮影日:16.10.0./掲載日:26.06.14.】
 当駅には写真のような屋根から吊り下がった電照式の駅名標が設置されていた。訪問当時は他の駅で見るホーム上の駅名標は無かったような気がするが、後年に近江鉄道オリジナルデザインの駅名標に統一されたときに、新たに作られたようだ。
 
【撮影日:16.10.06./掲載日:26.06.14.】
 近江鉄道の彦根駅には駅舎と言えるモノはなく、駅の自由通路となっている跨線橋から近江鉄道のホームへ降りていく階段の先、ホーム上に駅務室があるのみである。 国鉄・JRの駅に接続している地方鉄道の駅にはこのパターンは結構多い。
 簡素な造りの駅務室には窓口、券売機などが設けられており、屋上にはエアコンの室外機が置かれている。改札口のラッチは2通路確保されているが、もしかしたら右の柵になっている駅員が立つ場所の右側も通路になっているのかも?
 
【撮影日:16.10.09./掲載日:26.06.14.】
 改札口をホーム側から見たところ。実は上の項の写真とは撮影日が別日だったりする。
 
【撮影日:16.10.09./掲載日:26.06.14.】
 当駅のホームは1面2線であるが、列車の通行は右側通行が原則となっている。信号自体はどちらのホームからも上下列車の発着は可能だ。
 このショットだと単純な上下列車の交換風景のように見えるが、実はそうではない。少々時間を巻き戻すと、まず右の上りホームに貴生川からの当駅止まりの別の編成の上り列車が到着している。そして上り列車の編成を写真の900系編成に交換して、交換する下り電車を待っていたというシーンになる。

 ◆写真の列車情報◆ (左)800系 モハ806(+モハ1806) 816着/826発[普通]米原→近江八幡
              (右)900系 モハ901(+モハ1901) 816発[普通]彦根→米原
   
 ●2016年10月訪問:(旧)近江鉄道ミュージアム @彦根車庫
【撮影日:16.10.08./掲載日:26.06.21.】
 写真は、駅構内というか、車庫の休廃車が置かれているエリアの中に併設されていた近江鉄道ミュージアム内の「資料館」建屋。
 近江鉄道ミュージアムは2007(平19)年に開設。 資料館内には近江鉄道で使われた鉄道用品の展示や、鉄道グッズの売店などがあった。また保存車輛の見学は、設定エリア内なら軌道内に立ち入り可能だった。当時は開館日がかなり限定されていたと思うが、私が訪問した日程の中にちょうど開館日が設定されており、場内を見学することができた。事前情報を調べていなかった私にとってはグットタイミングで、鉄道"運"に恵まれた。
 ミュージアムは2018(平30)年に閉館となり、その後、大多数の保存車は解体処分されてしまった。しかし資料館部分については、2019(令1)年に八日市駅に新たな近江鉄道ミュージアムが開設され、年間通して開館しており、また展示物を以前より増やしている。
 
【撮影日:16.10.08./掲載日:26.06.21.】
 写真左から、ED31 3、ロコ1101、ED14 2、ED14 3。
 ED31形は、1923(大12)年に伊那電気鉄道が導入したデキ1~6で、伊那電の国有化の際にED31形 ED31 1~6となった。近江鉄道にはED31 3・5が1955(昭30)年、4が1957(昭32)年に国鉄から、1・2が1960(昭35)年に西武から譲渡された(残る6は1957年に国鉄→上信電鉄)。近江鉄道では貨物列車全般で運用されたが、その後の貨物の縮小で、5が1990(平2)年に、1・2が1994年に廃車となった。4は車輛故障ののちに廃車となり(時期不明)、3も2011(平23)年時点で車籍を有していたが、これもいずれかの時期に廃車となっている。ただ訪問した2016(平28)年時点で全5輛が現存していた。その後1・2・5は2017(平29)年に解体されたが、3は2019(令1)年から近江酒造(東近江市)で、4はその翌年から東芝インフラシステム(掲載日現在は東芝へ吸収合併)で保存されている。
 ロコ1100形1101は、阪和電鉄が開業時に入換用機関車として準備した1935(昭5)年製造の機関車。1949(昭24)年に近江鉄道にやってきて、形式変更はせずそのまま使用が開始された(正式譲渡は1951(昭26)年)。近江でも終始入換機関車として使用され、2004(平16)年に廃車となったものの、しばらくは工場内で機械扱いで使用されていた。後に譲渡も模索されたようだが、2019(平31)年に解体されている。
 ED14形については下項参照。
 
【撮影日:16.10.08./掲載日:26.06.21.】
 写真左は、他の近江鉄道機関車色と異なった、茶一色に塗られたED14 4。
 ED14形は、元は国鉄が東海道本線の東京-国府津 間を電化した際に1926(大15)年に導入した輸入機関車(製造自体は1921(大11)年)で、当初は1040形を名乗っていた。国鉄時代の晩年には地方の貨物列車の牽引に当たっていた。
 1962(昭37)年から1966(昭41)年の間にED14形の全4輛が近江鉄道に譲渡され、住友セメントの多賀工場と彦根工場との間のセメント鉱石輸送に従事した。一方でED14は私鉄電気機関車の中では西武のE851形に次ぐ高出力を誇る機関車であったが、軸重が重く、制限の関係で犬上川鉄橋を渡ることができないために本線の高宮以西には入線できなかった。
 鉱石輸送が1986(昭61)年に廃止されると2・3は休車ののちに2004(平16)年に廃車となり、1・4はイベント・工事・除雪用として残ったものの、あまり稼働はしてはいなかったようだ。私が訪問した時点では4輛とも残されてはいたものの、ミュージアム閉鎖後2019(平31)年に全車解体されている。
 
【撮影日:16.10.08./掲載日:26.06.21.】
 資料館脇に保存されていた500系のモハ501。
 500系は17m級のクハとモハの2輛固定編成で、1969(昭44)年から1983(昭58)年の14年間に6編成が自社工場で製造された。車体はほぼ新製されているが、機器類は元西武鉄道の木造車を由来とするモハ131形やクハ1201形などの廃車発生品を使用しているために、各車の車籍を引き継いでいる。500系は非冷房車であったため、後年に冷房車が入線してくると徐々に運用に入ることが少なくなり、2011(平23)年くらいまでには全編成が運用から離脱、2004(平16)年から2012(平24)年の間に写真のモハ501以外は解体された。
 残されたモハ501については、2013(平25)年に写真のような「ほほえみパーク号」として車内外を改装し、6才以下の子供たちが室内で遊べるような施設となった。ちなみに近江鉄道は当駅東口の写真右に見える建物に入居している「ほほえみ園」という幼稚園を開設しているが、ほほえみパークは申し込むことで園外の子供でも無料で利用することができた。「ほほえみ園」は現在も運営が続けられているが、モハ501は2019(平31)年に解体されてしまった。
 
【撮影日:16.10.08./掲載日:26.06.21.】
 写真はライオンズカラーをまとったモハ223。220形の紹介については「近江鉄道」のトップページを参照のこと。
 近江鉄道ミュージアム内にはまだ車籍が残されていたモハ226以外の5輛(モハ221~225)が留置されていた。
 
【撮影日:16.10.08./掲載日:26.06.21.】
 写真は「伊藤園 お~いお茶]ラッピングををまとったモハ225。他の留置中のモハ220形に比べると、一見した状態はいいように見えた。
【撮影日:16.10.08./掲載日:26.06.21.】
 庫内で長らく留置されていた、元西武の301系303編成。西武では8輛編成を組んでいたが、2012(平24)年11月に除籍となり、その翌月にはサハ2輛を抜いた6輛が101系2輛編成の295編成とともに近江鉄道入りした。元295編成については2013(平25)年に100系101編成と営業を開始したが、元303編成のほうは私が訪問した時点でも写真の通り、留置が継続されて褪色が進んで、足回りも錆びが浮いた状態となっていた。元295編成は元から2輛編成で必要な改造が最小限で済むのに対し、元303編成は6輛編成で近江鉄道ではそのまま使用するには設備過剰で、路線も対応していないため改造が必須であったであろうことから、このように待遇が分かれてしまっていたのかもしれない。
 しかし元303編成はこの訪問後に改造が行われ、モハ303・304にクハ1303・1304の運転台を取り付け、104編成として2017(平29)年営業運転を開始した。なお元303編成の残った2輛(モハ301-3・301-4)は2019年に解体されている。
 掲載日現在は101系は5編成在籍している。104・105編成は中間車に運転台を取り付けたため、オリジナルが元々2輛編成であった101~103編成と違って運転台直後の側面窓が無いのが特徴となっている。
 それにしても、だ。廃車となった車輛を間近で見る展示は多いが、将来営業運転を控えた改造待ちの車輛も間近に見学できるというのはかなり珍しい。
 
【撮影日:16.10.08./掲載日:26.06.21.】
 資料館建屋の裏側から立ち入れない車庫内の方を見ると、800系の先頭部分と思われる部材が戸外に2枚置かれていた。この当時は既に800系の増備が終了して、単発の900系の後の100系の増備が行われていた時期だった。この顔を持つ800系は当時11編成が稼働していたが、当初の計画では12編成が製作される予定だったため、もしかしたらこれは幻の12編成目の部材だったのではと疑ってしまう。でもこうして当時も置かれていたのは、最悪、800系の先頭部が破損したとき用の補修パーツとして取り置きしてたのかもしれない。
   
 

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