阪神電気鉄道 阪神なんば線 | |
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九 条 | Kujō |
●2017年10月 訪問時 | |
【購入日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 |
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【入手日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 それぞれの画像をクリックすると、拡大表示します。 |
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【撮影日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 当駅は2009(平21)年3月に開業。乗換路線である大阪市営地下鉄中央線は1964(昭39)年10月の開業だ。一方隣の西九条は、阪神は1964(昭39)年5月の開業だが、国鉄は1898(明31)年10月になる。歴史的には西九条駅の方が古いわけだが、なぜ国鉄は九条駅ではなく、"西"九条駅を名乗ったのだろうか、疑問が湧いた。地図で調べてみると答えは簡単で、現在の九条は西区、安治川を挟んだ反対側にある西九条は此花区にあり、さらに調べると明治以前から異なる地域的変遷をしていることが判り、国鉄が西九条を名乗ったのも納得できる。 ではなぜ川を挟んでふたつの九条があるのかと思って調べてみると、古くは"南浦"、のちに"九条(衢壌)島"という旧淀川の広大な中州の島があったことが始まりのようだ。江戸初期には九条島村が存在し、現在の九条と西九条にあたる地域は地続きだった。しかしこの島の存在のために舟運の航路が長くなるばかりでなく、川の流れを滞らせていたためにたびたび氾濫を起こしていたという。それを改善するため1680年代に現在の安治川が開削され、結果として九条島村が分断された。その際に安治川の左岸は九条村、右岸は西九条村と名乗るようになり、以来、地域的変遷を別々にすることになった。 でも九条が'東九条'と名乗らなかったのは、こちらが"九条"発祥の地だったのだろう。 |
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【撮影日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 駅の西口の地上部の様子。これの円筒状の建物は、駅舎というよりは駅の入口をランドマークに仕立てたもの、といった方が正しい説明かもしれない。大通りの交差点の角にあり、目立つ存在だ。この建物には駅の機能以外が表立ってあるように見えないので、建物上部は阪神社内の何かの施設になっているのかもしれない。写真に撮ってはみたが、うまく収まっていない。 |
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【撮影日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 こちらは西口の改札口。円筒の西口の入口の建物の雰囲気に合わせて、濃いブラウンをベースに施設のデザインが構成されている。お洒落で落ち着いた感じが、よい意味で駅らしくない雰囲気である。 |
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【撮影日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 こちらは駅の東口。屋上に「NTT」の文字が掲げられている建物に、面取りしたような部分に堂々と「阪神電車 九条駅」の文字が掲げられている。でも2階は診療所が入居しているようで、これは雑居ビルということらしい。 しかし驚くことに、このビルに造られた駅への階段はすでに1968(昭43)年のビル建設時には準備されていたものだったそうだ。開通は2009(平21)年3月なので、この階段設置から開通までに40年以上もかかったことになる。40年も時間がかかると当初の予定から変更されても不思議ではないので、日の目を見ることになって良かったと思う。しかし近隣には計画通り開通したにも関わらず、駅構内の配置の関係で使用されていない九条駅の出入口が存在しているという。そこは非常口にでもなっているのであろうか…??? |
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【撮影日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 東口改札は、西口改札とうって変わって改札周りは普通の駅と変わらないが、改札を入った先はオフィスビルの中にいるという感じの造りになっている。 改札口の幅は広く取られているようだが、利用客があまり伸びていないのか設置された自動改札の通路数は少ない。 |
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【撮影日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 ホームは大阪難波側は直線的だが、尼崎側はカーブしている。尼崎側のホームの先は急勾配で地上へと繋がっている。 壁面には吸音壁を思い起こさせるような丸い窪みをつけたタイルが埋め込まれている。この意匠はかつて地上を走っていた市電の鉄車輪をイメージしているそうだが、車輪を球面を使って表現するには無理があるように思う。そうであるなら窪みは円柱形にしたほうがイメージが湧く。 |
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【撮影日:17.10.14./掲載日:18.02.16.】 駅を出発する上り[普通]。 ◆写真の列車情報◆ 1202F 890~3993 904発 [普通]尼崎→東花園 |
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