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阪神電気鉄道 本線
久寿川 【次の掲載駅】 西宮
今 津 Imazu
 ●2017年10月 訪問時
【購入日:17.10.12./掲載日:18.03.14.】
 

【入手日:17.10.14./掲載日:18.03.14.】
 当駅の時刻表を見ると、平日と休日で利用者動向が違うとはいっても、ここまで停車本数が時間帯で変わってしまうのも珍しい。まずは[快速急行]が休日のみに停車し、平日は通過することだ。そのため日中の時間帯に差が見られる。もうひとつは休日の西宮[急行]が20時以降ぱったりと無くなってしまうこと。ただでさえ[快速急行]の運転本数は(平日・休日関わらず)20時以降は絞られているところなので、列車の本数が極端に減っている。23時台に下りに2本だけ西宮[急行]が思い出したようにやってくるが、その間の[急行]は甲子園で折り返し運転となっている。この停車本数の扱いは不思議なものを感じてしまう。
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【撮影日:17.10.12./掲載日:18.03.14.】
 駅名標は、時計と駅時刻表とともに、壁の一部をブロック状に色変えした箇所にまとめて掲示しているタイプ。このようなデザインはホームを新しくした駅に多く見られる形態である。
 
【撮影日:17.10.12./掲載日:18.03.14.】
 北口の様子。北口側にはロータリーが設けられている。地上駅時代、阪急のホームが阪神のホームに並行して存在していたが、1993(平5)年5月に阪急駅が今津線の高架化準備のために移転、分離された(高架化は1995(平7)年12月)。阪神駅の完全高架化は2001(平13)年3月のこと。現在、阪神駅と阪急駅はペデストリアンデッキで結ばれている。
 地上駅時代の阪神駅も対向式ホーム2面の複線駅であったそうだが、南側には保線基地があり、北側にはホーム2面に挟まれた単線の阪急今津線の駅があり、さらにその北側に阪神の採石積み込み線があったそうだ。
 かつて阪神と阪急は戦時中に今津を介して貨物列車が直通していた。戦後も車止めだけ設けて線路は繋がったままとされたが、1949(昭24)年に発生した阪急今津線の暴走事故(減速不能に陥った阪急電車は暴走の後、当時、建築限界の小さかった隣の久寿川駅のホーム端に当たって停止)の原因となってしまい、後に完全に分断されることになった。
 
【撮影日:17.10.12./掲載日:18.03.14.】
 南口の様子。昇降部は大きな空間が取られており、まるでアリーナかコンベンションホールのエントランスのようだ。
 
【撮影日:17.10.12./掲載日:18.03.14.】
 改札口周りの様子。柱には白と淡い藍色のタイルでデザインされている。
 
【撮影日:17.10.12./掲載日:18.03.14.】
 駅を出発した8000系8235F。
 8235Fは阪神淡路大震災で石屋川車庫で被災した編成。他の廃車が発生した被災編成については他の編成を組み合わせて復旧させた編成もあるが、当編成については廃車となった元町側の2輛(8236・8036)の代わりを新製車(8536・8336)によって補われた編成である。

 ◆写真の列車情報◆8235F 1621発 1641[普通]梅田→西宮
 
【撮影日:17.10.12./掲載日:18.03.14.】
 ホームに停車中の下り[普通]。

 ◆写真の列車情報◆5511F 1628発 1571[普通]梅田→高速神戸
 
【撮影日:17.10.14./掲載日:18.03.14.】
 駅を出発した[快速急行]。訪問時現在の[快速急行]は休日ダイヤ時のみ今津に停車する。

 ◆写真の列車情報◆5821F 1516発 4430~1425[快速急行]奈良→神戸三宮
 
 

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