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西武鉄道 多摩川線
新小金井 【次の掲載駅】 白糸台→ 
多 磨 Tama
 ■2018年1月訪問時
【購入日:18.01.04./掲載日:18.05.25.】
 
【撮影日:18.01.04./掲載日:18.05.25.】
 武蔵国西部地域を指す"たま"を表す漢字に、現在は「多摩」「玉」「多磨」の3通りが残されている。主に使われているのは「多摩」であり、他のふたつは書き換え字として使われている印象だ。当駅に使われている「多磨」については、南多摩郡多"摩"村(現・多摩市の一部)と漢字が被るのを避けるために北多摩郡多"磨"村(現・府中市の一部)に表記を変えたことに端を発しているという。でも避けるのであれば、中途半端に似て、書き間違えを起こしやすい漢字をわざわざ充てなくても…と思ってしまう。ちなみに「玉」については、二子玉川、玉川上水(この玉川は人名由来とする説があるが、説の元となった玉川兄弟の名字については、上水開削の貢献が認められ、多摩川沿いの出身であったことにちなんでて与えられたものであるという)、玉南(ぎょくなん・現在の京王線の府中以西を開業させた鉄道会社の名前に使用されたが、南多摩郡地域を意味する通称としたのだろう)などがある。
 当地に鉄道が通ったのは1917(大6)年10月であるが、当駅が多磨墓地前駅として開設されたのは1929(昭4)年1月と遅れている。その駅名の由来となる多磨墓地は1923(大12)年に日本初の公園墓地として開設されている。ただ多磨墓地前駅が開設された6年後の1935(昭10)年には多磨墓地は多磨霊園に改称されている。しかし駅の方は2001(平13)年に現駅名に改称されるまでそのままだった。ということは、駅名と霊園の名称不一致が66年間も続いたことになる。でも駅名の改称には思いのほか費用がかかるので、やむを得なかったのだろう。
 駅名標には「東京外大前」の副駅名が入る。副駅名が導入されたのはいつのことからか判らないが、多磨墓地前駅時代には東京外語大学前駅に改称しようという動きがあったそうだ。
 
【撮影日:18.01.04./掲載日:18.05.25.】
 駅の入口の様子。間口が全面に取られて開放的であり、道路と繋ぐ階段の幅もとても横長である。改札の通路数を数えてみると、使用されているのは2台の簡易カードリーダーの両側にある4通路だが、閉鎖されているものも数えると8通路も擁しているのが判る。さらに改札口の左側(武蔵境側)には今では閉じられたままとなっている臨時窓口が3カ所あるのが見える。かつては彼岸や盆の時期になると大勢の墓参客が利用したのであろうことが想像できる。
 
【撮影日:18.01.04./掲載日:18.05.25.】
 当駅の駅員は、駅舎の是政側に詰めている。券売機も同じ側にある。
【撮影日:18.01.04./掲載日:18.05.25.】
 武蔵境側にある構内踏切から是政方向を見る。
 多摩川線といえば新小金井の是政側から京王線を越えたところ付近まで、線路の上空に東京電力の送電線が架空されており、名物風景になっている。もちろん多磨駅の上空にも送電線が。
 
【撮影日:18.01.04./掲載日:18.05.25.】
 駅を出発する上り電車。ホームの是政側は上下ホームとも屋根が掛けられていない。4輛編成の電車のうち2輛弱が屋根が無い部分に停車する。
 
◆写真の列車情報◆ 253F 1152発 162[普通]是政→武蔵境
【撮影日:18.01.04./掲載日:18.05.25.】
 駅に到着する伊豆箱根鉄道塗装の新101系。当駅は上下の列車が交換できる駅だが、訪問時現在で、実際に列車の交換が行われるのは12分等間隔運転から外れた時間帯の一部の列車のみである。
 
◆写真の列車情報◆ 249F 1159発 163[普通]武蔵境→是政
 

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