西武鉄道 多摩川線 | |
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競艇場前 | Kyōteijō-Mae |
■2018年1月訪問時 | |
【購入日:18.01.04./掲載日:18.06.03.】 当駅以外に名前に"競艇場"が入る駅は、広島電鉄に同名の競艇場前(宮島競艇場)と、名鉄の蒲郡競艇場前(蒲郡競艇場)があるが、阪神の尼崎センタープール前(尼崎競艇場)も実質的に同じ意味合いの駅名とみることができる。 ちなみに上記以外の徒歩数分圏内に競艇場駅がある駅としては、JR東海道本線の新居町駅(浜名湖競艇場)、大阪メトロ四つ橋線・南港ポート線の住之江公園(住之江競艇場)、JR山陽本線の長府(下関競艇場)、JR筑豊本線の奥洞海(若松競艇場)がある。 |
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【撮影日:18.01.04./掲載日:18.06.03.】 当駅は1919(大8)年に貨物線として延伸され、常久駅という終端駅として開業した。1922(大11)年に是政まで延伸されているが、旅客の取り扱いが始められたのはいつかはどの資料を見てもよく判らない。また1950(昭25)年11月に北多摩(現・白糸台)ー是政 間が電化された際に常久駅は移転の上で旅客開業を復活させたともあり、いつから旅客営業が休止になったのかも不明である。開業時の駅名の"常久"は旧村名に由来し、1889(明22)年の47道府県確定と同時に常久村は多磨村に合併されている。 1941(昭16)年の国土地理院の空撮アーカイブで当駅周辺を見ると、当時の駅周辺には北側に数十軒からなる集落があるのみで、他は家が点在しているだけの農村であったことが判る。駅からは東側に砂利採取のための貨物側線が分岐していた。おそらく常久駅開通後の早い時期にはこの貨物側線での砂利輸送が行われていたと思われる。この貨物側線は1965(昭40)年に使用停止となっている。 競艇場前駅への駅名改称は1954(昭29)年5月で、府中競艇場(翌年に現在の多摩川競艇場に改称)の開場の1ヶ月前に実施されている。 |
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【撮影日:18.01.04./掲載日:18.06.03.】 南口の様子。出口付近にはコンビニと店がいくつかあるが、住宅地の中に出入口があるといった感じだ。 昭和の初めまでは周囲に人家もそれほど無かったことは上項でも書いたが、戦後になると駅北側に競艇場が開場、周辺が住宅地として変貌していくのは1960年代に入ってからのようだ。 |
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【撮影日:18.01.04./掲載日:18.06.03.】 駅舎は、北側にある競艇場と陸橋の通路で繋がっている。駅舎の北側の様子をその通路から撮影した。なんだかどことなく淋しさが漂う写真になってしまった。 |
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【撮影日:18.01.04./掲載日:18.06.03.】 改札口から入場した先には、写真のように自動販売機と多摩川競艇場の開催日を知らせるボードが置かれている。 その上部に、次の列車の案内表示器が設置されている。表示器は「武蔵境行」か「是政行」のどちらかだけを点灯して知らせる、至ってシンプルなタイプである。現行のダイヤでは白糸台ゆきの設定が無いので、これで充分ということになる。 |
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【撮影日:18.01.04./掲載日:18.06.03.】 駅の構造としては2面2線であるが、北側のホームの線路は剥がされており、現在は1面1線の棒線駅となっている。棒線化は2005(平17)年8月。 棒線化は、列車交換の設定が元々少なく12分間隔での運転ダイヤへの影響が小さかったということのようだ。線路撤去はバリアフリー化工事の際に同時に行われたようだが、ネット情報にあるバリアフリー化のために線路を撤去したという話は辻褄が合わず、にわかに信じ難い。 かつては列車交換駅だったわけだが、他の多摩川線の列車交換できる中間駅では、唯一構内踏切を持たない駅だった。構内踏切の無い安全性が高い駅が単線化されてしまったという結果は、ちょっと皮肉的だ。 |
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【撮影日:18.01.04./掲載日:18.06.03.】 ホームの武蔵境側から是政方向を見る。2面2線で、競艇場来場客を捌くためかホームの幅がゆったりと取られていることが判る。 |
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【撮影日:18.01.04./掲載日:18.06.03.】 ホームに到着する、伊豆箱根鉄道塗装の新101系。写真の箇所は、おそらく過去の交換設備があった時代に分岐器が設置されていた場所なのであろう。カーブした線路敷がやや広くなっており、ホームから写真を撮ると綺麗に編成が収まってくれた。 ◆写真の列車情報◆ 249F 1135発 160[普通]武蔵境→是政 |
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