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東日本旅客鉄道 水郡線
小塩江 【次の掲載駅】 磐城守山  
谷田川 Yatagawa
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.25.】
 訪問時現在、当駅は郡山市内最南端の駅である。駅は1929(昭4)年に水郡北線の終端駅として開業したが、その当時は谷田川村であった。(1955(昭30)年に田村町へ合併、1965(昭40)年に郡山市に新設合併)
 駅名ともなっている谷田川は近くを流れる阿武隈川の支流である。路線のうち、谷田川-磐城守山のひと駅間はこの谷田川に沿うように建設されている。水郡線は安積永盛で東北本線に合流するが、谷田川自身は郡山駅東方で阿武隈川と合流している。水郡線の分岐が郡山ではないことは沿線人口が考慮されたこともあると思うが、水郡北線開業時の東北本線の安積永盛-郡山 間の東側の多くは田圃であったことから、もともと氾濫原だったか泥湿地だった?ところに線路を通すことを嫌ったということも考えられなくはない。
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.25.】
 駅舎は簡素な造りとなっていた。ただ特徴的なのは待合室部分の壁面がほぼシースルーになっていること。大胆な造りである。地面を見ると待合室は四角く舗装されたアスファルトの上に建ち、その手前に小さな長方形のコンクリートが打たれている。おそらくアスファルトの部分にかつてあった木造の駅舎が建てられていて、コンクリートの部分が出入口であったのだろう。
 
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.25.】
 当駅は水郡線単独駅としては最北の列車交換が可能な駅となっている。場内の長さの感じからすると、20m級の車輛なら10輛編成どうしが余裕ですれ違いができそうである。
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.25.】
 構内踏切は郡山側のホーム先端に設けられている。遮断桿は設けられていないが、警報が鳴る警告表示器が設置されている。
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.25.】
 上の写真から右に90度向きを変えたところ。構内踏切から下りホームの間まではやや距離がある。ただこちらには、駅舎が北口だとすると、そちらを通らず駅への入出場ができる南口の通路(!?)がある、側には自転車が1台停められていた。
 
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.25.】
 下りホームから安積永盛方向を見る。下りホーム脇には129kmのキロポストが建つ。
 右に見える上りホームの右端部分に、土台部分が平らに塗りつぶしたような場所が見える。どうやら以前はこの位置に構内踏切があったようだ。そうやって見ると、上りホーム側もキロポストの建っている場所あたりから先が新たに延長したような造りになっているのが判る。かつての下りホームはおそらくキロポストの付近からスロープになって構内踏切に繋がっていたのだろう。
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.25.】
 駅には上り線の水戸側から分かれてきた貨物側線のホームと線路が残されている。しかも線路の一部にはピットが穿たれている。とはいっても本来の使命は終えており、保線用に残されているのだろう。ただそれにしてもしばらく線路が使用された形跡は見られなかった。
 
 
 

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