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東日本旅客鉄道 水郡線
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川辺沖 Kawabe-Oki
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.11.】
 駅の住所は石川郡玉川村大字川辺字中沖となっている。駅名は大字の名と字の名を併せて命名されたようだ(※1889(明22)年明治の大合併以前は川辺村が存在していた)。ちなみに単に"沖"を名乗る字名は近隣に存在しないようだ。
 しかし駅名を単に"川辺"にしなかったのは不思議で、開業当時(1959(昭34)年)は他に川辺駅というのは存在しておらず、掲載日現在ある由利高原鐵道の「川辺」駅は国鉄時代は「羽後川辺」駅を名乗っていた。また1965(昭40)年に廃止になった鹿児島交通知覧線には「薩摩川辺」駅という駅があったが、こちらも旧国名が冠せられていた。他に似た名前の駅というと奥羽本線の「川部」駅があるが、読みは同じだが漢字は異なっているし、青梅線の「河辺」駅に至っては漢字も読みも別である。故に単に川辺駅としても問題が無かったように見える。またそれとは別に、なぜ"中沖"の"沖"だけを駅名に付け加えたのも不思議である。もし区別をしたいのであれば、"磐城川辺"あたりが妥当なセンだったと思うのがだが…。
 ということで、付近には"川辺沖"という地名が存在しないことから、当HPではローマ字表記をハイフンで繋いだものにしています。
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.11.】
 ホームのすぐ南側にある矢吹街道踏切から撮影。
 上項にも書いたように、当駅は1959(昭34)年6月に開設された駅で、水郡線の磐城棚倉-川東 間が最後に開通した区間で唯一開業時設定されていなかった駅であった。
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.11.】
 ホームから水戸方向を見る。
 駅の線路側は田圃が広がっているが、ホーム側には住宅地になっている。駅が開設された当初は駅近くに家が2軒しかなく、あとは田圃が広がっていたようだ。ただ駅から東へ300~400mほどの山裾に、川辺地区の集落が古くから存在する。もしかしたら線路が集落から離れたところを通ったことが、開通時開設駅とならなかった理由かもしれない。
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.11.】
 当駅には駅舎が無く、ホーム上に小さな待合室がある。でもこの待合室は、訪問時で造られてからそれほど年数は経っていないようだった。室内には運転状況なども知らせることができるLED表示器も設置されている。
 
【撮影日:14.10.11./掲載日:18.08.11.】
 駅の入口そばに建つ「川辺沖駅建設記念碑」。1959(昭34)年6月の開業時には地元の多くの方々から歓迎された事が窺える。開業から50年が過ぎ、当駅は一日50人前後の利用しかないそうだが、今では地元の方はどう思われているのだろう…。
 
 

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