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IGRいわて銀河鉄道 いわて銀河鉄道線
青山 【次の掲載駅】 巣子  
厨 川 Kuriyagawa
 ●2016年03月 訪問時
【購入日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 番号:0870
 
【購入日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 「くりや」とは、"厨房"という熟語があることで解るように、台所を意味する。台所の川…水道代わり? 由来ははっきりしないが、現在の雫石川の古い名前であるらしく、"栗屋河"とも書いたらしい。栗の木が多かったのだろうか…。
 いずれにしても"厨"という字は日常で見る頻度が低い字だが、最近では「厨二病(中二病)」なんて字で登場することがある。しかしなんでまた"厨"の字を充てたかなぁ…。
 
【入手日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 スタンプのマラソンしている人は、近隣にある県立運動公園を意味しているようだ。後ろの菜の花は、東北農業研究センターの菜の花畑に由来しているそうで、5月の中旬には同所で一面の菜の花を見ることができるらしい。
 当駅のスタンプのインクは、今回集めたIGR各駅のスタンプの中で唯一の赤色であった。
 かつて厨川駅は四十四田ダムの駅スタンプが用いられていたそうだが、それはデザインを変えて隣の巣子駅に移されている。
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 駅舎の様子を正面から。駅舎には270度くらいぐるりと囲む長い庇が取り付けられている。
 IGRでは「駅の産直」といって、土曜日に駅前に地元の食材を販売することがあるそうだ。厨川、滝沢、岩手川口の駅で実施されていたそうだが、訪問時現在では岩手川口のみで、他の二駅は再募集中のようである。
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 すっかり錆びていた建物財産標には「大正8年3月」の打刻が。厨川駅の開設は1918(大7)年11月なので、駅開設から半年弱は仮の建物か何かを造って営業していたということだろうか。それとも登録が単に遅くなっただけなのだろうか。
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 ホーム側から東側にある駅舎を見たところ。駅舎とホームの間はかなりの空間がある。かつては何らかの側線があったのだろう。
 
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 駅に到着した3511M[普通]好摩ゆき。訪問時で、列車の行き先で「好摩」の文字が見られるのはこの列車が唯一である。
 いまでは新幹線の高架橋が建ち並んでいるが(写真左側)、かつてはこの場所から、東北本線(当時)の線路沿いに南へ専売公社工場への専用線が延びていたそうだ。また同じ側から北側へも側線が延びていたようだが、こちらは何用の貨物に使用していたが判らないが、かつての地図にはマッチ工場や印刷工場が側線脇にあったので、それらの出荷もしていたかもしれない。
 国鉄からJR継承後しばらくの間、当駅はJR貨物の駅としても在籍していたらしいが、貨物の取り扱いは1985(昭60)年に既に中止されていたので、JR貨物としての貨物の取り扱い実績はなかったらしい。

 ◆写真の列車情報◆ IGR7000系 [2輛編成:編成番号不明] 1247発 3511M[普通]盛岡→好摩
 
 
【入手日:16.03.21./掲載日:16.05.26.】
 今回の駅訪問で唯一手に入った駅時刻表。サイズはB4、緑の1色刷である。時刻表は厨川駅を中心に書かれているが、両隣の青山駅、巣子駅の時刻表としても使用可能である。
 
左の画像はクリックすると拡大表示します。
 
 

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