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屋島登山鉄道 屋島ケーブル
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屋島登山口 Yashima-Tozanguchi
 
【撮影日:02.10.08./掲載日:17.11.06.】
 琴電屋島の駅から北へ緩やかな坂を上がっていくと現れる、屋島ケーブルの麓側の駅。徒歩で10分弱くらいだっただろうか。途中、普通の住宅の中に旅館の看板を掲げた建物が何軒かあり、観光地らしい雰囲気が残っていた。駅舎はなんとも特徴的だが、高原のお土産屋さんのようにも見えなくもない。遠目には駅名の看板はないが、赤い時の「屋島ケーブル」の文字と、"Y"と"C"を図案化したマークが目立つ。駅舎の後ろの斜面にはやや傾いたケーブルの路線が一本まっすぐに伸びており、上部にあるトンネルの部分まで、中央の交換部を含めて路線形状がはっきりと解る。トンネルの先の線路の延長線上には、屋島山上駅の屋上に立つアンテナが見える。
 掲載日現在は廃止となってしまった屋島ケーブル。廃止へと至る第一の要因となったのが、屋島山上へ通じる屋島ドライブウェイが1961(昭36)年が開通したことで、観光客が車で屋島へ向かうようになったことにある。また廃止への第二の要因としては当駅が琴電屋島駅と離れていたことにある(ただ高松築港駅からの路線バスが当駅前に乗り入れていた時代もあった)。
 現在は屋島の山上へ向かう公共交通機関としては路線バスがあるが、このバスの運転開始は屋島ケーブルの廃止後で、当初は琴電屋島駅から土休日中心の運転であったものが、その後毎日に拡大され、JR屋島駅からも発着するようになった。
 ということは、もし屋島登山口駅が琴電屋島駅から見えるような距離にあったとすれば、現在も廃止されないで済んだのかもしれない。ただケーブルカーの路線を琴電屋島駅まで敷設するのには難がありそうなので、ロープウェイとかであったならば残せたのかもしれない…と考えてみる。廃止への第三の要因である老朽化については、前二者の問題をクリアし、慢性的な赤字体質でなければ防ぐことができたのかもしれない。
 駅舎現在解体されて残っていないが(別の建物が建てられている)、2輛のケーブルカーとともにホームは残されている。
 
【撮影日:02.10.08./掲載日:17.11.06.】
 改札口には両開きの扉が設置されている。出入口の上部には時刻表が掲げられており、平日は8:15~18:15、土休日・祭日は7:35~18:55まで、かっきり20分ごとの運転であったことが判る。時刻表には空欄の19・20時代のマスがあるが、かつては遅い時間に夜景観賞目的のケーブルでも運転されていたのであろうか。
 その下には発車案内の行灯が掲示されており、15・35・55のいずれかが点灯するように造られていた。信楽焼のたぬきが置かれているのはご愛敬か(笑)。
 私は11:55発で山上に向かったが、乗客は私一人だった。ちなみに山下りは12:35発に乗ったのだが(このときも一人だけ)、何故か乗った車は行きも帰りも弁慶号。ダイヤ通り運転されていれば同じ車輌に乗ることはないはずなのだが、そうはならなかった。つまり上下ともに乗客がないときは運休しており、この時の12:15発は運休だったということになる。行きも帰りも一人で乗ったと書いたが、往復ともすれ違う義経号の方には乗客の姿は見えなかった。つまり、行きも帰りも私のためだけにケーブルカーを運転してくれたということになる。なんとも贅沢な貸し切りであった(笑)。
 運賃は大人一人、割引ありの往復切符で1,300円であった。ケーブルカーなら仕方ない金額かもしれないが、バス運賃と想定し比較すると割高感は否めない。
 
【撮影日:02.10.08./掲載日:17.11.06.】
 駅に停車中の辨慶号(車輛番号 2)。車輌は1950(昭25)年の路線復活時に導入されたという。正面部の窓は3枚あり、左右の窓は開閉できるようになっているが、中央部の窓はHゴムの窓枠になっており、これはどこかの時点で改修されたのかもしれない。側面は3扉になっている。
 ケーブルカーの平行四辺形の車体には赤い帯が入れられているが、帯は車体を回すように塗られているのではなく、側面部は上に行くと徐々に細くなり、中間扉の上側で稲妻形のように一度折れ、その上で返しのついた針のような形で終わっている。よって反対側の正面は白一色の顔になっている。かつては近鉄のマルーンのような茶色ががった赤一色(帯色なし)で塗装されていたり、返しのついたラインデザインはそのままに、黄色の車体に黒(紺?)の帯色だったこともあったようだ。掲載日現在はなぜか薄緑色に塗装されて保存されているという。
 ちなみに正面に付いている車輛番号と車輌愛称板、尾灯は、義経号(車輛番号 1)とでは逆位置となっていた。
 そういえば屋島ケーブルもそうだが、パンタグラフがなぜ3台ついているのかとても気になってので調べてみた。上空に2本張られている架線は、それぞれ送電用と通信用となっているそうである。そうすると路線中間の車輛交換箇所で送電用と通信用が交差するところができてしまい不都合ができる。そのため交差部分はデッドセクションになっており、通電または通信の途絶を防ぐために、交換所で線路の内側となる側にはパンタグラフが2基必要になるとのこと(外側は架線が交差することがないので、パンタグラフは1基で問題ない)。この辨慶号では写真の右側が2基になっているので、交換所では右側が内側線路を走行することになる。逆に義経号は左側が内側線路となるので、パンタグラフも左側に2基並ぶことになる。
 
【撮影日:02.10.08./掲載日:17.11.06.】
 車輌下部から上方向を見る。背板やその角につく手すりの感じは、国鉄の旧型客車の雰囲気を思い起こさせる。床に貼られた床材などを見ていると、いかにも昭和だなーという気分にさせてくれる。駅の時刻表には「乗車人員120名」と書いてあったが、実際120人も乗車したらけっこうぎっちぎちになりそうな感じである。ちなみに乗車"定員"は車掌を一人加えた121人である。
 
【撮影日:02.10.08./掲載日:17.11.06.】
 逆に車輌上部から下を見る。外観も車内も古さは隠せないところがあるが、だからといって汚かったりボロが見えているわけではなく、綺麗に整備されているのが判る。経営が赤字だからとはいえ、そういう所の手を抜くことはなかったようだ。
 最近(掲載日現在)のJRなんか、平気で車内に大きな蜘蛛の巣が張った車輌を走らせてたりするからなー…。こういう所はむしろローカルな私鉄の方がしっかりしていたりする。
 
   
  

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