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四国旅客鉄道 高徳線・鳴門線
志度鳴門 【次の掲載駅】 徳島
池 谷 Ikenotani
  
【撮影日:02.10.01./掲載日:19.06.12.】
 駅名の読み方は「いけのたに」。訪問するまでは"の"を入れずに読んでいました(失礼いたしました)。住居表示は「池谷」となっているので間違いではないのだが、駅の近くにあるバス停は「池の谷」と表記されているようだ。
 
【撮影日:02.10.01./掲載日:19.06.12.】
 当駅の駅舎はなんだか一軒家のようで、あまり駅舎っぽくはない。駅舎はまばらに並ぶ住宅街の道から線路に分岐点に向かって分かれた短い一本道の行き止まりにあった。
 
【撮影日:02.10.01./掲載日:19.06.12.】
 改札口周りの様子あまり掲示物もなく、すっきりとした感じである。訪問当時は簡易委託駅でPOSによるきっぷの販売が行われていたが、2012年7月に無人化されたとのこと。分岐駅という機能がありながらも、日に100人前後の利用しかない駅では仕方がないのか…。
 
【撮影日:02.10.01./掲載日:19.06.12.】
 当駅は股裂け駅。写真右下に「のりば3番 4番」の表示が見える鳴門線のホームと、左に見える高徳線のホームが逆方向に反っている。そのホームに挟まれた位置、写真では中央より右上の位置に駅舎がある。駅舎とホームは跨線橋で結ばれているが、跨線橋通路は"山"の字形になっている。跨線橋が架かる以前は、駅舎を出た左右にそれぞれのホームに繋がる構内踏切があり、他に両ホームの徳島(南端)側どうしを結ぶ乗り換え通路の構内踏切があったようだ。
 歴史的に見ると、当駅は開業当初この位置に無かったようだ。阿波鉄道が1916(大5)年に現在の鳴門線の基となる撫養-吉成-古川(現・廃駅)を開業させたときは、現在駅の鳴門側にあるカーブの先にあったようだ。その後1923年に当駅から板西(現・板野)・鍛冶屋原方面に支線が延びた際には、撫養から鍛冶屋原まで東西方向に延びるような線形で、分岐方向は現在と異なっていた。1935(昭10)年に高徳線が全通した際に現在地に移転し、分岐方向も変更された。
 ちなみに国土地理院のHPで戦後の当地付近の空撮アーカイブの写真を見ると、池谷の町の中を東西に貫く旧線らしき跡が見られる。
 もうひとつちなみに、列車が停車している3番線の駅舎側に行き止まりの側線が見えるが、掲載日現在は撤去されている。

 ◆写真の列車情報◆ キハ47形 (徳島側後尾車、3輛編成、車番不明) 1619着/1637発 748D[普通]徳島→鳴門
 
【撮影日:02.10.01./掲載日:19.06.12.】
 跨線橋の上から、駅に到着する高徳線の上り列車を撮る。単線から4つのホームへ線路が分岐しているのが判る。通常、高徳線の上り列車は右側の1番線へ繋がるホームへ入線するが、上下の高徳線の[特急]の通過を1番線で行うことが優先されるために、例外パターンの入線となる。
 ちなみに私はこの後すぐに、上の写真に写る鳴門ゆきの列車に乗る必要があったため、鳴門ゆき発車後に通過する徳島ゆき77D[特急 うずしお17号]の姿を見ることはできなかった。

 ◆写真の列車情報◆ キハ47形1000番台 (高松側先頭車、4輛編成、車番不明) 1633着/1643発 362D[普通]徳島→高松
 
 

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