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豊橋鉄道 渥美線 
向ヶ丘 【次の掲載駅】 老津
大清水 Ōshimizu
  2013.10.04.訪問時
【購入日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 番号:1351。
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 なんか大清水というと、上越国境を思い出してしまうんですが。
 地名の由来もずばり、この近くに湧き水が出ていた場所があった、ということだそうだ。元々この地域は渥美郡高師村植田の地域に含まれていたそうで、戦前にそこから大清水町として住居表示を分割したそうである。なんかこの地名だけ見ていると渥美線の駅の並びのように見えてしまう。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 駅舎自体は小さくて簡素な造り。(写真では壁面にコインランドリーの字が見えているが)隣に建つ居酒屋の建屋が大きくて、駅舎小ささを際立たせており、屋根上の駅名標示を更にアンバランスに感じさせている。ちなみに駅舎と180度反対側になる居酒屋の建屋の右側にも駅の出入り口がある。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 駅舎内の様子。改札ラッチはなく、代わりにICカードリーダーが設置されている。左側にある窓口が壁に対して平面的であるが、よく見ると窓口上部にシャッターを巻き取って収納できるようになっている。ということは、窓口駅業務をしていないときはシャッターが降ろされているということなのだろう。こういったところは普通なら窓口の内側をカーテンで閉め切ったりするものだが、ちょっと変わっていて面白い。でもこれだと、書類(ICカード以前なら定期券申込書とか)を書く机のような場所がないような…。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 駅構内は列車交換可能な2面2線の構造。写真は三河田原側の端にある構内踏切から撮影。上下ホームとも、新豊橋側は基礎からコンクリートで作られているが、三河田原側は鉄骨で支えた造りになっている。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 現在は2面2線の列車交換駅となっているが、かつては上り線の三河田原側には豊田紡績(現・トヨタ紡績)への貨物引込線が存在した。引込線は1969(昭44)年に使用停止したそうだ。そして、おそらく貨物線のの役割を終えた後のものと思うが、その引込線に「新豊橋 大清水」のサボを貫通路に掲げた電車が停車していた写真を見たことがあるので、貨物廃止後は単に電車の引込線とし使用していたのかもしれない。訪問時には大清水発着となる列車の設定はなく、また引込線も現在は渥美線との並行部分に短縮されてしまっている。かつての豊田紡績の敷地は、掲載日現在は豊橋南プラザという商業施設になっている。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 下りホームから三河田原行きの電車を見送る。上りホームを見ると、ホーム側面の鉄骨部分には「豊橋行のりば」と書かれている。ちょうどこの文字が見える反対側に改札口がある。でも細かいことを書かせていただければ、厳密には「新豊橋行きのりば」ではないかと…。そんなことを気にするのは野暮?(笑)

 ◆写真の列車情報◆ 1800形 1802F[はまぼう・写真先頭車はク2802] 1203発[普通]新豊橋→三河田原
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 かつて渥美線にも[急行]が走っていた時期があったそうだ(1965(昭40)~1985(昭60)年)。1977(昭52)年頃のダイヤでは上り列車のみの設定で、朝の三河田原発の1本と、夕方の大清水発の4本があったそうだ。いずれの[急行]も大清水を出ると、次の停車駅は南栄で、他の区間は各駅停車だったそうだ。後者の4本の列車については、当時の夕刻の上下列車の乗客の流動の格差を垣間見ることができる気がする。感覚的には[急行]というよりは[準急]っぽいが、[急行]が存在しない路線の[準急]というのも変だし、だとしたら[快速]が妥当なところか…??
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.04.】
 列車交換をする菊編成とつつじ編成。色の組み合わせとしても華やかな感じ。

 ◆写真の列車情報◆ (左)1800形 1810F[菊・写真先頭車はモ1810] 1217発[普通]三河田原→新豊橋
              (右)1800形 1803F[つつじ・写真先頭車はモ1803] 1218発[普通]新豊橋→三河田原
 
 

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