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豊橋鉄道 渥美線 
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老 津 Oitsu
  2013.10.04.訪問時
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.07.】
 当地はかつて"大津"という名前であったそうだ。室町時代の中期には、このあたりに大津城(別名、高縄城)という三河湾を見通せる山城(といっても丘みたいな場所)があったそうだ。場所的には吉田城(豊橋城)と田原城の中間ということもあって、大津城は戦略上のポイントとして重宝されたようだ。
 それが現在の地名である「老津」となったのは1871(明11)年の郡区町村編制法の施行時で、村の名前を紫式部の短歌からあやかったという。だが、その由来となった短歌に詠まれている"老津島"は琵琶湖に浮かぶ沖島(滋賀県近江八幡市)のことといわれているそうだ。確かに、平安貴族の女官が琵琶湖までならいざしらず、縁も無い渥美半島まで赴いて短歌を詠むというのは非常に考えにくい話である。なぜ旧・老津村の人は紫式部の短歌に村の名前を託したのか理解し難いところはあるが、ひとつ推測できるのは、"大津"は日本各地にある名前なので、漢字を変えて個性を出そうと考えたのかもしれない。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.07.】
 かつては写真の下りホームの入口あたりに駅舎も存在したそうだが、現在は無人駅で駅舎の姿、形もない。ホームの出入口に駅名の看板だけが立っている姿は少々もの悲しい。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.07.】
 駅構内は列車交換が可能な2面2線に、写真左側にも見えるが貨物用の側線がある。他にも写真右の上りホームの奥には留置線が1本ある。
 また新豊橋側(撮影位置後方)のちょっと離れた場所は3線の引き込み線を擁した側線が残されている。この新豊橋側の側線について国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを見てみると、驚くことそこは昭和中期頃まで農地であった。側線と思われるものは平成の時代になってから造られたようで、ひょっとしたら本線とは接続された形跡が無い可能性もある。渥美線1500V昇圧(1997(平9)年)の時に何かをする設備だったのかとも考えたが、どうもそういうわけでもなさそうだ。あと想像できるのは保線研修の設備くらいだが、事実はよく判らない。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.07.】
 老津駅にも豊鉄標準の待合室が上下ホームに建てられていた。壁面の多くに褐色透明の樹脂ボードが張られており、屋根・庇は大小3つの蒲鉾が載ったような形をしている。庇の下のは入場用と出場用のICカード簡易リーダーと、乗車証明書発券機が置かれている。待合室内は時刻表・運賃表などの掲示物類があり、ベンチが設置されている所は、まあ普通どおりの使われ方。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.07.】
 駅に間もなく入線してくる、下りのばら編成。意外にに正面をアップにし編成全体を捉えた写真は、この時はあまり撮っていなかった。

 ◆写真の列車情報◆ 1800形 1801F[ばら・写真先頭車はモ1801] 1236発[普通]新豊橋→三河田原
 
 

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