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豊橋鉄道 渥美線 
豊島 【次の掲載駅】 三河田原
神 戸 Kambe
  2013.10.04.訪問時
【購入日:13.10.04./掲載日:20.09.16.】
 当地名は律令制度の時代に、伊勢神宮に直接、租税などを収めるための地域があったことに由来とするということらしい。というか、全国に散在する神戸(こうべ、かんべ、ごうど などなど)という地名は、神社に何らしかを納めていた地域を意味するらしい。
 当駅のローマ字表記は、通常のヘボン式であれば「Kambe」となるところが、'm'が'n'で表記される訓令式となっている。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.16.】
 神戸駅は渥美鉄道がまずは終端駅として1924(大13)年に開業したという歴史があるが、この駅は現在の駅より三河田原寄りにあったという。おそらく三河田原駅手前にある汐川を渡る鉄橋の工事に時間がかかったということもあるのだろう。ただ終端駅であったのは数ヶ月程度の僅かな期間だけであった。初代駅は1944(昭19)年に休止しているが、正式廃止は1977(昭52)年と意外に時間がかかっている。
 現在の2代目の駅は初代の駅の新豊橋側から小野田セメント製造への専用線が分岐する1930(昭5)年に信号所として歴史がスタートしている。他の鉄道でもたまに見られるケースではあるが、同じ名前の駅と信号所が一時期並立していたことになる。昭和の末期までに専用線からの貨物輸送がなくなったとされているらしいが、1989(平1)年に2代目の駅として旅客駅に格上げされることになる。
 ちなみに小野田セメント製造は、後の小野田セメント、現在の太平洋セメントであるが、当地工場は小野田セメント時代の1987(昭62)年に三河小野田セメントへ分社化し、1997年(平9)に工場閉鎖、2003(平15)年に会社解散となっている。もしかしたら、この分社化のタイミングで貨物輸送に変化があったのかもしれない。三河小野田セメントの工場敷地は、現在は田原市管理の公園になっている。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.16.】
 当駅は列車交換が可能な駅となっている。駅舎は無く、簡素なふたつのホーム上に豊鉄標準の待合室が建つ。旅客駅としてスタートしたのは平成になってからということもあるのか、ホームの構造は鉄骨とコンクリートの組み合わせではあるが、見た目は板きれホームのような感じがしないでもない。
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.16.】
 現在の日中の15分毎間隔ダイヤは、杉山ー神戸 間の1閉塞に由来していると言って間違いない。従ってその時間帯は必ず当駅で列車交換が行われることになる。

 ◆写真の列車情報◆ (左)1800形 1810F[菊・写真先頭車はク2810] 1333発[普通]新豊橋→三河田原
               (右)1800形 1807F[菜の花・写真先頭車はク2807] 1334発[普通]三河田原→新豊橋
 
【撮影日:13.10.04./掲載日:20.09.16.】
 駅を出発した上りの菜の花編成が、身をくねらせながら単線区間へ入っていく。
 
 

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