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富山地方鉄道 本線(鉄道線)
電鉄魚津 【次の掲載駅】 経田
新魚津 Shin-Uozu
 ●2018年10月 訪問時
【購入日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 当駅の駅舎は島式ホームの宇奈月温泉側の橋に建つ。それにしても表示に"駅"の文字がついていないのがちょっとだけ変。駅舎へは写真左に見える富山地鉄、あい鉄の線路の下を横断する「魚津駅地下道」を経由する必要がある。写真的には、ホーム後ろに見えるオレンジ色のホテルの塔屋が紛らわしい。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 かつては国鉄→JRとの共同使用駅で、駅名も同じく「魚津」駅を名乗り、跨線橋も繋がっていた。しかし1995(平7)年1月に写真の駅下を東西に繋ぐ地下自由通路が完成すると、魚津駅の共同使用関係が解消し、繋いでいた跨線橋が撤去され、地鉄の駅は現在の「新魚津」駅を名乗るようになった。
 新魚津駅に行くにはこの地下道からアクセスするルートのみで、駅への上がり口の前に天井に電照式の看板が出ており、壁には時刻表が掲出されていた。写真でも雰囲気が伝わると思うが、この場所はなにとなく淋しさが漂うので、何か明るく感じるものが欲しいところだ。でも東京でもこんな感じの地下鉄駅があったことや、阪神電鉄神戸高速線を訪問したときのことを思い出す。
 
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 別稿の階段を上がってくると、地鉄の島式ホームの宇奈月温泉側へと繋がる駅舎部分に着く。写真は階段を上がりきる前に駅舎通路を撮影したものだ。この場所は島式ホームの端に造られていることもあって幅が狭く、券売機もなんとか置いたという感じになっている。券売機の後ろに窓口があり、その前にはベンチ代わりに折りたたみの椅子が置かれていた。当駅は7:00-20:00に駅員が配置され、またICカードに対応している。
 
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 駅外の道路から、駅舎とは反対のホームの上市側をみる。そこには古い木造の建物があるが、2階の壁板が剥がれていたりと老朽化が進んでいる。この建屋はに何に使われていたものかはわからないが、もしかしたらかつて魚津駅時代に繋がっていた日本カーバイト工業・魚津工場専用線と関連したものだろか? その日本カーバイト工業専用線は1994(平6)年に廃止されている。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 地鉄ホームから、あい鉄の魚津駅構内を見る。あい鉄側に複数の側線が見えるが、架線柱のビームの下を通る線路のうち地鉄側の数線は架線が張られていなかった。あい鉄と地鉄の間に草生した場所が伸びているが、かつてここも含めて貨物側線が並び、日本カーバイト工業からの貨物が発着していたのだろう。
 地鉄の上りホームの外側に、新たに饋電終端の表示も無く、架線末端となる架線柱が真新しい側線があった。この上市側から分岐した側線はこの先ほどなく車止めとなっていたのだが、利用用途がイマイチ思いつかない…。
 訪問時の地鉄線路は、富山駅の高架化工事で線路がJRから分断されて以降、JR→あい鉄の線路と繋がっている場所が当駅にしかないようで、列車の搬入などは当駅で実施されているとのこと。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 ホームの中程に設置された待合室の出入口で、魚津市のキャラクター・ミラたんがお出迎えしてくれる。ベースが蜃気楼ということがあるのか、その姿も半透明だ。
 
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.03.10.】
 駅に到着する新塗装の14760形。 どうしてなのか判らないが、当駅は電鉄富山方面の上り電車が2番線を、宇奈月温泉方面の下り電車が1番線に発着するという、"電鉄富山行きは1番線の法則"に当てはまらない掟破りの駅である。でも両番線とも上下方向どちらでも発着が可能ということで、掟破りの中でも唯一の救いか…?? 跨線橋が国鉄→JRとつながっていた魚津駅時代の地鉄のホームは何番線を名乗っていたのだろうか。

 ◆写真の列車情報◆ 14760形 #5 モハ14770(+モハ14769) 1303発 138[普通]宇奈月温泉→電鉄富山
 
 

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