HOME西中部富山地方鉄道本線(鉄道線)

富山地方鉄道 本線(鉄道線)
新魚津 【次の掲載駅】 電鉄石田
経 田 Kyōden
 ●2018年10月 訪問時
【入手日:18.10.07./掲載日:20.04.02.】
 当駅名の由来は地元地名から。駅に掲示されてあったポスターの文章をそのまま書くと、『京田村から経田村へ 大同元年(806年)地引網に千手観音菩薩が懸かったので、小堂を建て安置して丁寧にお詣りしていました。その観世音菩薩に因み、経田村と改称したと伝えられておます。』ということだそうだ。だとすると改称する前の京田村ってなぁに、という感じはしなくもないのだが…、これはポスターにある「経田郷土史」を購入せよって事なのかな?
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.04.02.】
 当駅が1936(昭11)年10月開業するに際して、初代・相ノ木駅(現廃駅だが、新相ノ木駅近くにあった)がそれまで名乗っていた「経田」の名前を改称させてまで、こちらにその名前を名乗らせてたという経緯がある。なぜこのような名称の移転が行われた理由としては、相ノ木となった元の経田駅のある自治体は当時既に相ノ木村となっていて、名前の由来となった上経田村・下経田村は1889(明22)年の明治の大合併で自治体名としては無くなっていたこと、一方新しい経田駅のある経田村は明治の大合併で成立した自治体で、駅の開設時が経田村であったことが大きいと考えられる。経田村は1952(昭27)年に魚津市へ合併されている。
 国土地理院の空撮のアーカイブを見ると、当駅ができた当初は経田の街中からは東に外れた場所にあったが、現在では住宅地が駅の東側にも広がっている。ただ住宅の密度としては現在の方が疎になっている感じがする。
 この写真の駅名標だが、ローマ字部分だけが書き直す前の文字が錆として浮き出てしまっている。しかしこの錆文字をよく見てみると「Kyouden」とワープロ打ちの綴りになっている。つまりローマ字部分は後に訂正された部分ということで、他の文字部分が錆として浮き出ていないことに納得。
 
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.04.02.】
 屋根の端が少し斜めに切り落とされた袴腰屋根が特徴的な駅舎だ。全国を探せば、こんな建物の銭湯がどこかにありそうだ。
 この日は朝から雨が降ったり止んだりでも傘はささずに済んでいたものの、ここに来てやや雨が強くなり傘を差すことにした。実は鉄道訪問で傘を使用する経験はかなり希有なのだが、今回以前で傘を使うことになったのは日帰りでは2016(平28)年8月の西武・南入曽車輛基地まつり訪問以来、長距離の旅行だと2002(平14)年10月に琴電志度線で巡っていたときのこと以来だったりする(ただ長距離移動中や、駅巡りをしていない夜間に雨に降られることはあった)。ただこの時の雨は次の栃屋駅訪問の時には弱くなり、以降は傘も差さずとも駅巡りをすることができた。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.04.02.】
 窓口は塞がれてしまい、雰囲気を見ても判るように当駅は無人駅。とはいえ平日の朝のみ(7:00~8:30)は有人改札となるようだ(きっぷの販売は無い)。近隣に県立魚津工業高校があるためと思われる。

【撮影日:18.10.07./掲載日:20.04.02.】
 ホームに上がる階段付近から改札口を見る。ホームと改札口の間にはちょっとだけ距離があり、中庭のような空間があるのが珍しい。よく見てみると、駅舎の出入口とは別に、右側に駅舎を通らず出入りができるような簡易なラッチが仕立てられていることが判る。駅敷地に入るところの門が閉ざされているようなので訪問時は通行できなくなっているが、かつては時間外改札口のような使われ方をしていたのかもしれない。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.04.02.】
 駅のすぐ宇奈月温泉側(北側)にある踏切から駅構内を見る。見た通りの棒線駅で、過去に交換駅だったような様子は見られない。それにしても特徴的なのは水色に塗られた上屋である。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.04.02.】
 小雨が降る中、魚津市のキャラクター「ミラたん」のヘッドマークを掲げた10030形が到着する。

 ◆写真の列車情報◆ DSC04335 10030形 第5編成 モハ10039(+モハ10040) 1051発 125[普通]電鉄富山→宇奈月温泉
 
 

▲このページのTOPへ戻る