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富山地方鉄道 本線(鉄道線)
経田 【次の掲載駅】 電鉄黒部
電鉄石田 Dentetsu-Ishida
 ●2018年10月 訪問時
【入手日:18.10.07./掲載日:20.02.16.】
 
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.02.16.】
 当駅には"電鉄"の名前を冠しているが、近隣に競合するような名前の駅は無い。富山電気鉄道合併後に廃止された石田港線の石田港駅と区別するためという話があるが、そもそも当駅が1940(昭15)年6月の石田港線の廃止と引き換えに石田第二信号所に開設された旅客駅なのだから端から区別する必要が無く、説得性を欠く。港からは離れているので単に"石田駅"でもよかったわけだし、駅が当時は石田地区の東端にあったことから"東石田駅"でも区別はついたはずである。ただ当時は既に日田彦山線と山形交通三山線に「石田駅」が存在していたので、それと区別するために"電鉄"を付したというのであれば解らないでもない。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.02.16.】
 「石田駅」の表示が取り付けられた屋根側面部と出入口を囲むように作られた構えの部分には小さい四角いタイルで丁寧に張り詰められている。また駅名標示の上に縦長の3枚の磨りガラスが入れられているなど、なかなか意匠性を感じられる駅舎である。ただその磨りガラスも中央部分が破損していたり、出入口扉はアルミサッシに替えられたりと、老朽化が隠せないようだ。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.02.16.】
 駅舎内の様子。当駅は無人化されているので。窓口が板で塞がれている。まあ塞ぐのはいいのだが、その取り付け方がベニヤ板をただ釘打ちしただけの雑なものだ。普通塞ぐなら駅事務所側から板を張るか、外から覆うにしてももう少し丁寧な仕事があるんじゃないかなーと思わずにいられなかった。しかもその上には何を塞いだのか隠したのかは判らないが、「キグレ大サーカス」の広告が使われていた。何ともいえない雑然とした感じだ。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.02.16.】
 構内踏切の1番線側から駅舎を見る。壁面の形はホームベース形とも見えるし、横への張り出しがちょっとだけの矢印のようにも見える。いずれにしても意匠性を感じる正面に対して、こちら側はすっぱりと切り取られたような平面になっており、随分とさっぱりしている。
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.02.16.】
 駅舎側にある2番線ホームののりば案内を見ると、電鉄黒部の部分が新しく書き直されているのが判る。そこで私はあれ? となったのが、1989(平1)年3月まで電鉄黒部駅は電鉄桜井駅だったことをすっかり失念していた。
 写真左に構内踏切があるのだが、その警告灯があまり見ることも無い、また随分とレトロなタイプである。
 また写真右下の柵だが、見ると改札のラッチとして使えるような構造になっている。この右の壁を取り払えば駅の内外を行き来できるようににはなるが、元々有人駅だったことを考えると、臨時改札か早朝・深夜などの時間外改札として使っていたということが考えるが、果たして真相はどうなのだろうか。
 
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.02.16.】
 当駅は2面2線の交換駅。
 当駅は1940(昭15)年6月に、元・黒部鉄道だった石田港線の廃止に伴って、代替として石田第二信号所だった場所を電鉄石田駅に昇格して開設したという経緯がある。このことを調べていく中で、「黒部市公共交通戦略推進協議会」という団体が作るHPに興味深い記事を見つけた。1936(昭11)年10月に富山電気鉄道(現・富山地鉄本線)が魚津(現・新魚津)-西三日市(現・電鉄黒部)間を開業させた際、富山電気鉄道線と黒部鉄道石田港線の交点となる部分は平面交差だったというのだ。その場所を国土地理院の地図・空撮写真閲覧サービスの昭和20年代の当地の空撮と地図で確認すると、電鉄石田駅から電鉄黒部側へ700mほど進んだ場所に石田港線の廃線跡と交差していたと思われる箇所があるのが判った。これで新潮社の「鉄道旅行地図帳(6)北信越」でキロ程を確認すると、そこに富山電気鉄道が第一信号所ともいうべき「石田信号所」を置いていたことが判った。確かに異なる鉄道会社の路線が平面交差している場所なので、安全上必要な施設として信号所を置いたことは当然の結果といえる。一方の黒部鉄道側がこの平面交差についてどう対策していたかは不明だが、堀切駅と生地口駅のほぼ中間点でことから、もしかしたら富山電気鉄道側に全部任せていたのかもしれない。そしてこの石田信号所は、1940年の石田港線の廃止によって、同時に廃止となっている。
 また同協議会HPの石田港線の記事の中には石田地区が拠点港としての重要性について書かれているのだが、そうすると不思議なのが、なぜ富山電気鉄道は重要性のある石田地区にアクセスする旅客駅を設けなかったのだろうかという点である。しかも後に電鉄石田駅となる石田第二信号場は延伸開業後の半年後ほどに開設しているのだが、なぜ当初から旅客駅としなかったのだろうか。単純に考えるなら黒部鉄道に遠慮したというのはあるかと思うが、実際のところどうなのだろうか?
 
  
【撮影日:18.10.07./掲載日:20.02.16.】
 宇奈月温泉ゆきが到着する。
 この写真よく見ると、なぜか右端のホームの外側に35kmのキロポストが立てられているのが判る。もちろん当駅の営業キロは34.9kmとなっている。

 ◆写真の列車情報◆ 14760形 #1 モハ14761(+モハ14762) 913発 119[普通]電鉄富山→宇奈月温泉
 

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