富山地方鉄道 本線(鉄道線) | |
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中滑川 | Naka-Namerikawa |
●2018年10月 訪問時 | |
【入手日:18.10.07./掲載日:20.05.14.】 |
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【撮影日:18.10.07./掲載日:20.05.14.】 私は言いよどむことなく10回繰り返して続けて言えますが(笑)、人によっては意外にこの駅名を滑らかに読めないようだ。かえって平仮名書きにしたほうがちょっと読みにくいのかも。それにしてもこの駅名標は、他の駅と違ってローマ字表記が一見Centuryっぽいフォントが使われているのがユニークだ。 立山(たちやま)軽便鉄道が1916(大5)年に滑川-五百石 間を開通したときに、後に晒屋駅を名乗ることになる中滑川駅はこの場所ではなく、現在駅から直線に東へ200mほどの場所にあった。西滑川-滑川 間は1931(昭6)年11月に現在の線路に付け替えられており、旧線部分はほぼ全部が道路に転用されている。ただこの線路の付け替えだが、国土地理院HPの地図・空撮写真閲覧サービスにある1946(昭21)年撮影の当地の写真を見ると、現在の中滑川-滑川 間については渡り線のような線路跡のようなものが見られる。これが本当に線路跡だとすると、1931年の北陸本線に沿わせる線路切り替えは、西滑川駅から中滑川駅のちょっと先までの区間をまず切り替えて、その後にそこから滑川駅間を切り替えるという、2段階で行われたことが想像できてしまう。あくまでも個人的な想像なので確証はありませんが。 ちなみに現在の滑川市晒屋は、郵便番号として設定されているにもかかわらず(〒936-0059)、地図上では探すことができない不思議な地名になっている。場所としては下小泉町(〒936-0058)になるのだが、晒屋が字名というわけでもなさそうで、下小泉町の一部が別名として通用するように残されているのであろうか?? あと地名としてではないが、当駅からあい鉄の線路を越えた北側に行った場所にある公民館の名前や、当駅の北東側にバス停名に「晒屋」の文字が残っている。元々の「晒屋」という場所は、新川(現在は暗渠)で布を水で晒す職人が多くいた場所で、後に綿・木綿・染物の産業が発展、明治以降は周辺を巻き込んで商店街が発達し、滑川旧市街の繁華街となっていったそうだ。 |
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【撮影日:18.10.07./掲載日:20.05.14.】 当駅の駅名標では鉄道員姿の「キラリン」がお出迎えしてくれる。ホタルイカということで、袖から足が1本ずつ、ズボン裾から足が4本ずつ出ている。キラリンの説明はお隣の「滑川」のページを参照のこと。 |
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【撮影日:18.10.07./掲載日:20.05.14.】 滑川の地名の由来は、日本海の荒波が川に入り込んでくる様子「波入川(なみいりかわ)」が転訛したという説がある。 国鉄→JR→あい鉄の滑川駅は滑川の町外れに造られたのに対し、滑川駅の南西に造られた中滑川駅は滑川の中心地に造られた駅である。 かつて駅前に滑川農協→JAアルプスの一部2階建ての大きな建物があり、駅もその建物に入居していたそうだ。また駅とホームは地下道で繋がっていたという。しかしその建屋も2013(平25)年に取り壊され、翌年に写真の2階建ての一軒家のような駅舎が竣工した。現在の駅舎とホームは、2番線の宇奈月温泉側を渡る構内踏切で繋がっている。 しかし建屋に使用された敷地はほんの一部で、駅前には広い空間が広がる。この土地に利用方法については2019(平31)年3月に市の整備基本構想がようやく策定されたようだが、交通拠点を交流拠点とし、防災拠点としても使うことが可能な周囲に調和した施設、と、どこの自治体でも考えるようなありきたりなものになるようである。 |
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【撮影日:18.10.07./掲載日:20.05.14.】 上の写真の180度反対側。こちら側にも出入口があるが、その前は未整備の状態。でもこの整備されていない砂利敷の所を歩いて行ける場所は特にない。写真中央に半身姿を現したキラリンが見えるが、これは缶飲料の自動販売機の側面である。 |
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【撮影日:18.10.07./掲載日:20.05.14.】 外観は一軒家みたいな駅の中は公民館のような感じがしないでもない。 訪問時の当駅は、平日の7:00から20:00まで駅員を配置しており、その他の時間と土曜・休日は無人となっている。訪問日は日曜日ということで、当然窓口は開いておらず、ICカード乗車券も使えなくなっていた。 |
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【撮影日:18.10.07./掲載日:20.05.14.】 現在は島式ホーム1面2線の駅となっており、駅舎から遠いあい鉄線側が電鉄富山方面の1番線(左)、駅舎寄りが宇奈月温泉方面の2番線(右)となっている。この島式ホームは写真中程に柵が立てられており、手前側は立ち入ることができなくなっている。よく見ると使用されているホームの奥側は拡幅されてており、使用されていない手前側は拡幅されることなく石積みのホームが取り残されている。 かつては2番線の隣に3番線ホームがあったそうだ。この3番線は当駅から水橋方面を経て富山港線東岩瀬駅へ延ばすことを目的として作られたとのことだが、結局路線の延伸はならなかった。もし延伸が実現したとすると、水橋方面の列車を3番線から発着させるとなると地鉄本線と線路が交錯することになるので、1番線と3番線を入れ替えることになるのだろうと思われる。 |
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【撮影日:18.10.07./掲載日:20.05.14.】 当駅で[特急 うなづき]どうしがすれ違う。左の電鉄富山ゆきは京阪を、右の宇奈月温泉ゆきは西武をかつては代表する[特急]列車だった。しか同じ[特急]とはいえ、京阪は運賃だけで乗車できたのに対し、西武は特別料金を徴収する列車と、サービス面では異なっていた。 ちなみにかつては、手前に細く写る「キラリン」の駅名標と、中央奥に見える待合室の間に、解体されたJA&駅舎と繋がっていた地下道への階段があった。 ◆写真の列車情報◆ [左]10030形 第3編成 モハ10036(+モハ10035) 1341着/1342発 UN6[特急 うなづき6号]宇奈月温泉→電鉄富山 [右]16010形 第2編成 モハ16013(+クハ31+モハ16014) 1341着/1341発 UN3[特急 うなづき3号]電鉄富山→宇奈月温泉 |
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