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富山地方鉄道 本線(鉄道線)
越中荏原 【次の掲載駅】 越中舟橋
越中三郷 Etchū-Sangō
 ●2018年10月 訪問時
【入手日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 当駅は電鉄富山側から来ると、常願寺川を渡って最初の駅になる。川を渡る前までは住宅地が続き、所々に田畑がある風景であったが、渡った後は逆転して田畑の中に住宅地が固まって存在する風景になる。
 
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 当駅の駅舎は富山電気鉄道が1931(昭6)年8月に開通したときに建てられたものといわれている。駅出入口の上部に右からの横書きで「富山電鐵 三鄕駅」の駅名標示が今でも残っている。ただ富山電気鉄道は開通から11年過ぎた後の1943(昭18)年1月に交通系の戦時統合で富山地方鉄道となるので、駅名標示と実際が合致していた時期はあまり長くはなかった。それにしても当駅の駅名は開業時から"越中"が頭につく名前が正式とされているのに、なぜ表示では略されているのかが気になる。
 駅舎は赤黒い瓦に白い壁と、単純にシックで格好がいい。状態も、ゆがんだり痛んだりというところは見られず、良好だ。
 
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 窓口周りの様子だが、地鉄の無人駅の大方がそうであるように、窓口部分の上から無粋に板を打ち付けている。手間がかからないという面があるものの、何かとってつけただけという感じがちょっと悲しい気持ちにさせてくれる。古い駅舎を何でもきちんと保存しろとは言わないが、なんというか、愛を感じない。せっかく駅舎内はゴミも落ちておらず、大きな蜘蛛の巣が張っているわけでもなく掃除が行き届いているだけに、勿体ない。
 
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 駅構内側から駅舎を見る。屋根が右上がりになった変わった構造だが、何でまたこんな複雑な構造になったのだろうか。右の駅務室側の壁が傷みが進んでいるのがちょっとちょっと気になる。
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 駅舎は下りホームに隣接しており、ホームの駅舎側に短い屋根が掛けられている。こちらも年季が入った建物だ。
 
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 構内踏切を渡った先の上りホーム側にも、下りホーム線対称となるように、構内踏切に寄せた短い屋根が掛けられている。こちら側の屋根下は日光が入りにくい面となるためか、下りホームほど老朽化が進んでいないように見える。
 ホームの基礎の石積みを見ると、下りホームが乱積みのようになっているのに対し、こちらの上りホームは比較的整列して積まれている。ということは、上下ホームが造られた時期が違っているのであろうか? だとすると、当駅は開業したときは棒線駅で、現在の下り線ホーム側だけであったということも考えられるが…?? もし棒線駅だったとしたら、電鉄富山側の分岐器が、直線側が下り線で分岐側が上り線になった理由も説明できそうだ。
 
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 上りホーム側にも出口が設けられている。構内踏切を渡って南北自由通路のように使用することが可能だ。この出入口にはラッチが無く、よく見ると壁の下部のコンクリート部分を崩して補修されている様子が見られる。よってこの出入口は後年になって設けられたものだと思われる。
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 当駅は列車交換可能駅となっているが、列車の発着は左側通行固定となっている。
 
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 駅を出発した上り列車を構内踏切から撮影。この列車には新相ノ木から当駅まで乗車したのだが、その間、乗客は私一人だけだった。よってこの写真を撮ったときはこの列車に運転士しか乗っていなかったということになる。

 ◆写真の列車情報◆ 14760形 #1 モハ14762(+モハ14761) 1511発 1040[普通]上市→電鉄富山
 
【撮影日:18.10.08./掲載日:20.04.05.】
 冬季運休となる[普通]立山ゆきの運用に入るダブルデッカートレイン。折り返しの立山で[特急 たてやま6号]となって電鉄富山に帰ってくる。

 ◆写真の列車情報◆ 10030形 #2 モハ10034(+サハ31+モハ10033) 1522発 8333[普通]電鉄富山→立山
 
 

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