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三岐鉄道 北勢線
穴太 【次の掲載駅】 北大社(信)  
東 員 Tōin
 ●2015年10月 訪問時
【購入日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 番号:0202
 “東員”という地名は、旧・員弁町(訪問時現在は他の員弁郡3町と合併し、いなべ市の一部)の東側にあることを意味していると思われる。
 明治時代に員弁郡が発足したときには、後に合併して東員村を構成することになる南大社村に郡役所が置かれていたそうだ。訪問時現在の東員町は、員弁郡を構成する唯一の自治体となっている。
 
 
  【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 東員駅には駅スタンプが用意されている。図柄は三重交通時代からの異色の車輛200系で、塗色は訪問時の三重交通色ではなく、それ以前の三岐オリジナルカラーの塗り分けになっている。
 後ろの御社は当駅最寄りの「猪名部神社」の本殿。本殿は前方後円墳の上に祀られているという珍しい形態だそうだ。ここに祀られているのは、8世紀初頭に摂津国(兵庫県)猪名川から移住してきた豪族で、神社の名前もその豪族の名前に由来する。祭られている神様は建築技術の神として崇拝されているそうだ。読みで判るように、郡名でもある「員弁」の由来となっている。それにしても、なぜ"いなべ"の文字に「員弁」の文字が当てられたのだろうか? 「猪名部」のほうが素直に読めるのに…。
 ちなみに、東員町内にはかつて「稲部」と表記する地名があり、その字は今でも小学校の名前として残っている。結果的に、この地域には"いなべ"と読む漢字表記が3つあることになる。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 駅名標のローマ字表示だが、三岐流なら“TOHIN”と綴りそうなところだが、さすがにそうすると“とひん”と読まれてしまうことに気がついたのか、長音“H”は使われていない。
 駅名標の向こう側に停車しているのは「NARROWEEN TRAIN」だということが、ジャック・オー・ランタンの姿で判る。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 北勢線の運転の中枢でもあるため、駅舎は大型の造りとなっている。写真では見にくいが、駅舎の出入り口部分には庇が設けられていて、その左側部分には屋内の待ち合わせ場所が張りだしている。とはいっても造りは至って質素だ。
 駅前はロータリーになっており、バスも発着する。日中は東員で上下列車が交換するダイアに合わせて、ロータリーからも複数のバスが発着するようにダイヤが組まれ、アクセスをスムーズにしている。ただ私が訪問したタイミングでは列車からバスに乗り換えた乗客は皆無で、複数のバスがむなしく発車していった。私が見たタイミングがたまたまだったと思いたいが、もしこれが間々見られる光景だとしたら残念なことである。私的には自家用車依存型の社会からはそろそろ脱却するべきだと考えているのだが、その実現への道のりは簡単ではなさそうだ。
 
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 当時、東員は始電から終電まで営業を続ける北勢線唯一の駅だ。でも列車の間隔が空く時間や、何かの都合があるときは窓口が閉じられることがある。写真はその時に掲示されるサインボード。
 サインボードの右下には「100th Annivarsary」の文字と、さらに小さな文字で「今までも、これからも、北勢線。」と言葉が添えられている。北勢鉄道が最初の区間である大山田(移転前の西桑名)-楚原 間を開業させたのは1914(大3)年で、訪問時で正確には開業から101年目にはなるが、長い歴史を持っている鉄道ということには間違いない。下に添えられた言葉の通り、これからも地域で活躍する北勢線であって欲しい。添えられた言葉、なんかいいよね~。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 駅前のロータリーの中央に時計とともにレリーフが。上が「大社(おおやしろ)祭」からデザインされたもの。このお祭りは、スタンプにもある猪名部神社で春に行われる。下は歌舞伎の「弁慶」がデザインされているが、これは当地が大正・昭和で活躍した七世 松本幸四郎の出身地であることに由来するそうだ。
 それにしても、なぜその隣には南国の植物が?
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 ホーム全景を畑越しから撮影(右が阿下喜側)。ナローゲージ鉄道である北勢線ではあるが、こうして施設だけを写真にしてしまうと普通の鉄道の駅と何ら遜色はない。
 駅が新設されてから、訪問時で10年が過ぎているが、駅の周囲は畑が広がったままだ。旅客駅を失った北大社信号所の周辺は住宅が広がっており、そちらの方々はこの状況をどのように見ているのだろうか。無関心だったらちょっと悲しい。
 
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 ホームの端から阿下喜側を見たところ。右の電車は本線上を走行し、間もなくホームに入ってくる西桑名ゆきの上り電車。一方左の電車は、下り電車の編成の交換のために引上線で待機中の電車。
 阿下喜ゆき下り列車の一部では、北大社車両区に最寄りの東員で車輛交換が行われている。順序としては、(1)予め車輛区から東員へ回送させた列車を左の電車のように一旦引上線に取り込む、(2)西桑名から来た下り列車は東員で一旦乗客を降ろし、上り列車の到着を待つ、(3)上り列車が到着後、西桑名からの下り列車は回送となり、北大社の車庫へ出発する、(4)その後、引上線で待っていた編成を下りホームに据え付ける、(5)乗客を乗車させた後、阿下喜ゆきとして出発する、という順序で行われている。写真は(1)と(2)の間も状況になる。(1)から(5)までの行程は3~4分くらいかかっている。

 ◆写真の列車情報◆ (左) K75編成 クハ145(+サハ135+クモハ275)
              (右) K74編成 クハ143(+サハ137+サハ144+クモハ274) 1032発 楚原→西桑名
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.18.】
 下り線の外側には保線車輛が留置されていた。保線車輛の多くは警戒のための意味もあり、黄色で塗装されていることが多い。しかしこの保線車輛の裾にはオレンジ色の帯が入れられている。これは間違いなく三岐鉄道の色であり、保線の警戒色ではない…?
 
 

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