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三岐鉄道 北勢線
七和 【次の掲載駅】 東員  
穴 太 Anō
 ●2015年10月 訪問時
【購入日:15.10.11./掲載日:15.12.16.】
 
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.16.】
 三岐鉄道の駅名標のローマ字綴りは妙ちくりんである。つまりヘボン式でも訓令式(小学校で教わる綴り方)でもない。発音としては“あのー”と伸ばす音が入ることから“O”の後ろに“H”を付し、“Ō”では標記していない(当HPでは文字上部にバー(マクロン)を付けたもので標記します)。
 “おー”を“OH”を書くようになったのは、マクロン付きアルファベットを文字媒体で表記するがの難しかったという時代背景があったものの、野球の読売巨人軍に在籍した王貞治氏が、選手時代にユニホームの背中側に名前を標記するとき、“O”の1文字では判りにくいことから、英単語の感嘆を表す単語を参考にして「OH」としたのが始まりのひとつといわれている。その後「SAITOH」のような例は一部で見られたが、現在のように“OH”が乱用されるようになったのは、小室哲哉氏がJ-POP界を一世風靡した時代に歌手名・グループ名の表記に多用していった影響があるように思う。最近では“パスポート式”といわれる破綻しているローマ字表記でも、条件付きで長音に”H”を用いることをOKとしている。
 基本的に“H”を長音として用いることは、本来の「日本語をアルファベットで表記する」というローマ字の機能からは逸脱している。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.16.】
 三岐鉄道譲渡後、北勢線の多くの駅で新しく設備が造られている。穴太駅もそのひとつだが、他のいくつかの駅でみられる倉庫のような駅舎と違い、簡素な造りの中にも鈍角の屋根がついて、入口に庇が付くなどなど、デザインが取り入れられていて変化が見られる。
 駅前は駅専用の駐車場で、かなりの台数が駐車できるスペースを持っており、パーク&ライド、キス&ライド(自家用車送迎を伴う公共交通機関利用)に対応している。また駅前には路線バス、コミュニティバスも乗り入れている。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.16.】
 ホームの屋根の造りは、蓮花寺の駅に似ている。
 訪問時現在はプラットホームが線路に南側にあるが、以前は反対の北側にあったそうだ。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:15.12.16.】
 クハ145を先頭にした編成が到着。
 現在北勢線に所属している140形は7輛ある。1960(昭35)から1962(昭37)年にかけて三重交通三重線(現・近鉄湯の山線)用の中間付随車・サ2000形として誕生。路線が三重電気鉄道に譲渡後、湯の山線が1964(昭39)年1435mm軌化されて、サ2000形全車輛が北勢線に転入する。1965(昭40)年近鉄に併合された後にサ140形に系式変更される。1977(昭52)年からは鉄道設備の近代化の名目で、サ141・143・145の3輛は西桑名側に、サ142・144の2輛は阿下喜側に運転台が増設されて、計5輛がク140形となった。運転台増設に際しては、同時期に新製導入されていた270系ど同様のデザインとなった。その後ク142・144は増結用として使用されていたが、2003(平15)年に北勢線が三岐鉄道に移管されると、再度中間付随車化(運転台撤去)されてサハ142・144(形式としては140-1形)となり、編成の中間に固定して使用されるようになった。他の車輛については移管時にサ140形はサハ140形へ、ク140形はクハ140形に変更されている。
 2006年以降に冷房化工事が始まると140形7輛全車が冷房化されたが、クハ140形と編成を組むクモハ270形の方に関しては機器の都合で冷房化されず、編成中に冷房車と非冷房車が混在することになった。写真の編成も冷房・非冷房の混在編成である。

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写真の列車情報◆ K75編成 クハ145(+サハ135+クモハ275) 1535発 阿下喜西桑名
 
 

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