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西日本旅客鉄道 北陸本線・小浜線
米原東舞鶴 【次の掲載駅】 富山
敦 賀 Tsuruga
 ●1997年10月訪問時
【購入日:97.10.12./掲載日:19.04.11.】
 
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.04.11.】
 何気なくさらっと"つるが"と読んでしまうが、よく考えてみると"敦"の字を充てて"つる"と読ませるのは難読といってもよい。地名の由来の情報は普通にHPで調べられるのでそちらに説明を譲るが、なぜこの字が当てられたのはよく判っていないようだ。
 現在は駅構内も全面直流電化となっているが、この訪問当時は北陸本線は交流電化、小浜線は非電化であった。
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.04.11.】
 新潟から乗車した[急行 きたぐに]から夜明け前の敦賀駅で降りてみると、天気は雨だった。
 この当時、既に583系で定期運用されていたのが「きたぐに」のみになっていた。それゆえ、当時でも583系の定期運用離脱も時間の問題だと思われていた。しかし実際はそれから15年近く過ぎた2012(平24)年3月の臨時格下げ後も583系のまま運転が続き、予想外に長期間運用された。
 ただ結局この機会が、私にとって最初で最後の583系での寝台室利用となってしまった。
 
 ◆写真の列車情報◆ 583系(新潟側後尾車、車番不明、10輛編成) 438発 502M[急行 きたぐに]新潟→大阪
 
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.04.11.】
 出発を待つ、敦賀発東舞鶴ゆきの小浜線一番列車920D。
 個人的には昔から時刻表を見てて、かなり朝早くから運転していた小浜線の敦賀発一番列車は気になる存在だった。時刻表を辿ってみると、1956(昭31)年12月改正号に503発の920レという福知山・京都ゆきの列車が掲載されている。1961(昭36)年10月のダイヤ改正号では502発の934レとなり、東舞鶴から906レ上り[準急 第1丹後]となって京都に向かっていた。しかし[準急]とはいえ途中停車駅は西舞鶴・綾部(福知山発を連結)・二条のみと、掲載日現在の[特急]よりも少なかった。1965年11月のダイヤ改正号では452発950Dと気動車列車になり、東舞鶴から918D上り[準急 丹後1号]になり京都に向かっていた。その後の準急の急行化を経ても関係はそのままだったが、1976(昭51)年4月のダイヤ改正号で列車番号は950Dのままだが(時刻は448発)東舞鶴どまりとなり、910D上り[急行 丹後1号]に接続する列車として分割された。その後950Dは列車番号が922D、920Dと変わり、一時期は西舞鶴着に延長されたこともあったが、2000(平12)年3月のダイヤ改正で敦賀-小浜 間が廃止になり消滅した。2003(平15)年3月の小浜線電化まではもちろんのこと、21世紀まで、この敦賀5時前後発の一番列車は生き残ることはできなかった。

 ◆写真の列車情報◆ キハ28(敦賀側後尾車、車番不明)ほか2輛 505発 920D[普通]敦賀→東舞鶴
 
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.04.11.】
 上項の編成の東舞鶴側の先頭車は、青をベースとした通称"小浜線色"をまとったキハ53だった。この塗色は、正面の白い帯2本のうち細い帯は運転台部分の面だけで途切れており、車体側面は太い白い帯を裁ち切るように白い斜めの太さが異なる2本のストライブが入れられている。
 キハ53等を含むキハ45系列の特徴といえば、パノラミックウインドウに裾絞りの無い車体というところ。個人的には、裾絞りがあるキハ58系列などはふっくらと見えるのだが、当系列の車輛は愛嬌は感じつつものっぺりとした感じに見えてしまう。

 ◆写真の列車情報◆ キハ53 4(東舞鶴側先頭車)ほか2輛 505発 920D[普通]敦賀→東舞鶴(上項と同じ列車)
 
 

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