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西日本旅客鉄道 山陰本線・美祢線
江津於福 【次の掲載駅】 仙崎
長門市  Nagatoshi
 ●2008年10月訪問時
【購入日:08.10.11./掲載日:15.07.19.】
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.19.】
 駅名標を見ると、実際の駅の方向と、路線の上下関係が揃っていないことが判る。実際の駅の方向は写真を見ての通りだが、路線としての下り方向にあるのは黄波戸と仙崎で、上り方向は長門三隅と板持になる。実列車の運転で長門市で運転方向が変わる直通列車(臨時等を除く)というのは、私の知る限りでは存在していない(存在していたら、ごめんなさい(笑))。
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.19.】
 長門市は北長門地区の中心駅になるのだが、駅舎はこぢんまりとしたものである。でもこのなんとも昭和な感じに、ちょっと安心感を憶える。
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.19.】
 かつては[特急]まつかぜ・いそかぜ、[急行]さんべ・あさぎりなどの優等列車が停車していたが、訪問当時は長門市を通る優等列車は存在していなかった。そんな中で、指定席車も連結する[快速]みすゞ潮騒号は、[普通]しか通らない当駅においてアクセントを加える種別となっている。また当地ではみすゞ潮騒号は唯一の“ウリ”の列車ということなのか、列車案内の上部に大書きされた案内板が掲出されていた。
 列車の発車案内だが、表示が左から、山陰本線上り、山陰本線下り、美祢線&山陰本線仙崎支線となっている。訪問当時は仙崎支線は美祢線と一体となったような運用をしているので、理にかなった措置ではある。にしても、仙崎はひと駅区間ということもあるのか、種別表示がLED表示ではなく、書き文字にしているのは節約でためであろうか。現在となっては仙崎支線は山陰本線の支線として存在するのが不思議な存在であるが、かつての仙崎は下関と結びつきが強いところがあったので、山陰本線として分類されているのであろう。
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.19.】
 駅の側線にて、キハ120とキハ40が憩う。訪問当時、キハ40は下関方面・萩方面の2方向の運用、キハ120は美祢線・仙崎方面・萩方面の3方向に運用されていた。
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.19.】
 私がこの写真を撮ったときは、右に停車している[快速]みすゞ潮騒号で長門市-仙崎 間のひと駅区間を往復する前のことである。鉄道的には、この列車は進行方向を変えずに上り・下りの区別が変わって発車していくということになるが、一般の方々はそんなことを気にしないで乗っているに違いない。ちなみに長門市-仙崎 間について、下り列車は列車番号が偶数を採番しており(上り列車は奇数)、通常とは逆になっている。
 この後の話ではあるが、この日の[快速]みすゞ潮騒号の下関方面行きの混雑の話は【仙崎】
駅のページにも書いたとおりである。そこに加えて、当駅から摘まみ食い(バスツアーで風光明媚な区間だけ列車に乗る団体のことを、個人的にこう呼んでいる)の方々がさらにもう1団体乗車してきた。私は仙崎を往復した後、再び長門市で列車を見送ったのでその混雑を味わうことは無かったが、このみすゞ潮騒の自由席は通勤ラッシュ並みの混雑の様相を呈して発車していった。発車するまでは、乗務員もバスの添乗員も、指定席に入らないよう注意に躍起になっていた。この列車は定期列車の筋で運転している列車であるので、自由席には通常利用している地元の方々がいるわけだが、その方々もいい迷惑であっただろう。JR西日本も、複数の団体客が乗車することはあらかじめ判っていたことと思うのだが、そうしたら増結するなりの対処を考えなかったのだろうか(指定席利用者には権利があるので、指定席を混雑緩和のために開放するというわけにはいかない)。これでは地元の方も摘まみ食いの方も双方、良い思いをしない結果になる。
 
 

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