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西日本旅客鉄道 美祢線
厚保 【次の掲載駅】 長門市
於 福 Ofuku
 ●2008年10月訪問時
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.21.】
 私がこの時於福駅に訪れたのには理由があった。この日に組んだ旅程は、早朝まだ明け切らぬ5:31に宇部新川を出発しいろいろな所を回ってきたのだが、その間に朝食にありつくチャンスがなく、なんとかして朝飯にありつこうとして考えたのが於福9:14着/10:16発という計画だった。於福駅の至近に、国道316号線(美祢線と並行している)にある「道の駅 おふく」という場所があるというのが決めた理由だった。しかしなんと道の駅の食堂の開店時間が10:00からということで、地元の食材で朝食というわけにいかなかった。ただ道の駅の駐車場でコロッケを作っている移動店舗車が早めに売り始めており、地元産というゴボウを含む(他の種類は忘れてしまった)コロッケを3個くらい買って朝食にしたことを憶えている。ありがとう、コロッケ屋さん!!
 道の駅は、概して地元の方々がお店を出している場合が多く、「道の駅 おふく」のレストランの開店時間10:00というのでも(他の道の駅と比べても)開店時間としては早いケースのようである。道の駅利用の場合は、レストランの開店時間などは要チェックかもしれない。ある意味勉強になったわ~(笑)。
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.21.】
 駅舎は相当古そうだ。資産標を確認したわけではないが、於福駅の開業は1920(大9)年だそうだから、その当時からのものなのかも知れない。入口上部にかかる「於福駅」の看板だが、少々丸くゆがんでいた。ちなみに於福駅は1923(大12)年までは終端駅だった。
 地域的には長門国になるが、屋根は石州瓦だろうか、赤褐色の瓦が使われている。それにしても瓦が全て葺き替えが行われた訳ではないような、左側の一部だけが、丸瓦を境に色が異なっており、また右側も入口の屋根がある部分だけ、左側と同じ色の瓦になっていた。まさかロット違い、という訳ではあるまいに…?
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.21.】
 駅舎をホーム側から見たところ。こちらも屋根瓦の色があっておらず、右側の一部が丸瓦を境にして暗い色になっている。
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.21.】
 駅には跨線橋が架かっているのが判る。しかし私が撮影している場所は、駅のホームの北側に架かっている歩道橋(これもある意味跨線橋ではあるが、駅の施設ではないようだ)の上である。写真は厚狭(南)方向を見ている。写真の左側には国道316号線が美祢線と併走しており、左側にも家は多く見える(もちろん右側にも多く人家はある)。
 ルール的には写真左側にいる駅利用者は私のいた歩道橋を渡って駅舎からホームへ入場するわけだが、さらに上りホームを渡るには写真に見える構内の跨線橋を渡る必要がある。しかし実際、左側の上りホームには、国道側から階段を使わず移動できる非公式通路(!?)が存在していたりする。でも高齢者からしてみると、迂回するルートでさらに階段を上り下りして線路を2度越えることを考えると、階段を使わないこともアリだろう。まあもとより於福駅は無人駅で、料金の収受は車内で行われるのだから問題はない。あとは道義的にどう思うかだけである。
  
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.21.】
 時刻表をこうして見てみると、1~2時間に1本の列車が設定されていることが判る。全体の時間で運転されているのはいいのだが、利便性としてはやや劣るかなぁという感じである。それと夜の列車が厚狭基準で考えるとやや早終いかなとも思う。幹線料金の普通運賃が適用されている美祢線であるが、貨物列車の運転がなくなってしまった現時点では、収支は悪化しているはずだ。ローカル線の厳しい一端が見える。
 
【撮影日:08.10.11./掲載日:15.07.21.】
 青・ピンク・濃灰色の3本のカラーを巻いた美祢線色のキハ120形。列車は長門市行き。朝の厚狭への(書いていて変換がうまくいかない!(笑))通勤通学を捌いた後の長門市へ戻る列車になり、2輛編成での運用だ。
 
 

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