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西日本旅客鉄道 山陰本線・三江線
米子 【次の掲載駅】 長門市石見川本
江 津 Gōtsu
 ●1997年10月訪問時
【購入日:97.10.14./掲載日:16.09.29.】
 
【撮影日:97.10.14./掲載日:16.09.29.】
 「ごうつ」という読み方は、知ってないと読めない地名だ。
 
【撮影日:97.10.14./掲載日:16.09.29.】
 駅のスタイルは、昭和30~40年代頃に国鉄の中規模の主要駅に多く見られた鉄筋コンクリート平屋建て。昔は変哲のない駅舎だと思っていた時期もあったが、ある意味国鉄らしい佇まいなのかもしれない。
 
【撮影日:97.10.14./掲載日:16.09.29.】
 当時の三江線の時刻表。江津から7本の下り列車が設定されていることが解る。当時の三江線の列車運転状況は、全線通しの江津-三次:3往復と、区間列車の江津-浜原:3往復(うち1往復は浜田発着)、江津ー石見川本:1往復(下りは浜田発)、浜原-三次:1往復、口羽-三次:2往復があった。区間ごとに整理すると、江津-石見川本 間が7往復、石見川本-浜原 間が6往復、浜原-口羽 間が4往復、口羽-三次 間が6往復という状況だ。ただし区間列車の組み合わせで全線乗り通すことはできなかった。その他に臨時列車としてSL江の川号が運転されていた。
 掲載日現在の区間ごとの運転本数は江津-石見川本-浜原 間が5往復、浜原-口羽 間が4往復、口羽-三次 間が5往復で、1997(平9)年当時からは若干減らしている。時刻表上の列車の乗り継ぎがある、時間が変動しているというのがあるものの、全線通しで乗車できる組み合わせは3往復しかないというのは変わっていない。
 
【撮影日:97.10.14./掲載日:16.09.29.】
 写真右のホームに据え付けられているキハ120形は、山陰本線の380D[普通]浜田発当駅止まり(6:07着)として到着し、引き続き三江線の443D[普通]当駅始発三次ゆき(6:30発)として出発する。江津駅には都合23分ほど停車するのだが、その程度だったら通しのひとつの列車番号にしても差し支えないような気がした。ちなみに当時の浜田発着の三江線列車は江津で列車番号は変えることなく運転されており、従って山陰本線内では上下方向と列車番号の偶奇性が逆になっていた(掲載日現在の直通列車は江津で列車番号を変え、路線の上下方向と列車番号の偶奇性を揃えている)。浜田を出発したとき、空はまだ夜も明けきらない状態だったが、江津に着いたときは写真のような状態、明るくなったものの雲が出ており、すっきりとした朝という感じではなかった。
 この列車は唯一の石見川本への通学列車となるため、学生の乗車が多かった。
 
【撮影日:97.10.14./掲載日:16.09.29.】
 写真は3120D[快速]石見ライナー 浜田発米子ゆき(6:25発)のキハ58系3輛編成。長大編成の急行とはいかないまでも、正調・旧国鉄色の姿が綺麗だ。この頃は、掲載日現在みたいに復活国鉄色みたいな物は存在しなかった(…もしかしたらあったかもしれないが、少なくとも乱発状態ではない)。
 
 

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