HOME東中部JR東日本羽越本線米坂線

東日本旅客鉄道 羽越本線・米坂線
新発田越後金丸 【次の掲載駅】 村上  
坂 町 Sakamachi
 
【購入日:07.09.23./掲載日:18.07.21.】
 
【撮影日:07.09.23./掲載日:18.07.21.】
 この駅名標は4番線に向けて標示されているもの。4番線は電化されてはいるものの、米坂線用のホームとなっているのだが、米坂線の隣駅"えちごおおしま"の標示は見えない。
 
【撮影日:07.09.23./掲載日:18.07.21.】
 ホームの駅名標には、上項のようなJR東日本タイプのもののほかにも、国鉄時代から使われていると思われる駅名標もあった。ただフォントが…。
【撮影日:07.09.23./掲載日:18.07.21.】
 駅舎は、国鉄時代に坂町機関区を要していたということもあって、中規模駅でも比較的大きく作られている。昭和中期の国鉄の栄華を感じられる半面、平成の時代から見ると"兵どもが夢の跡"といった感が強い。それを裏付けるように、駅舎の反対側のかつて機関庫や貨物側線があった広大な土地は、"夏草や"といった状態だった。
 
【撮影日:07.09.23./掲載日:18.07.21.】
 駅を出発する[特急 いなほ5号]。
 坂町に[特急]が停車するようになったのは、上越新幹線が開業した1982(昭57)年11月からのこと。東北横断線が分岐している駅であることを考えるとちょっと意外である。しかしその改正からは、新潟発着となった事実上新規の[特急 いなほ]はもちろんのこと、改正前の上野-青森 間運転の[特急 いなほ]を引き継いだ[特急 鳥海]、日本海縦貫線[特急 白鳥]と、全ての昼行特急が停車するようになった。そうなった理由は、羽越本線を走っていた[急行]が、米坂線や陸羽西線に直通するものを除くと、夜行[急行 天の川]だけを残して消え去ってしまったからである。消えたそれらは、新潟発着[特急 いなほ]に格上げされた[急行 羽越](新潟-秋田)と新潟で系統分離された[急行 きたぐに](大阪-青森)、福井発着の増発[特急 白鳥]に格上げされた[急行 しらゆき](金沢-青森)、昼行[特急]に名称が移され純然に(または「天の川」に統合という形で)廃止となった夜行[急行 鳥海](上野-秋田)である。

 ◆写真の列車情報◆ 485系3000番台 新ニイ R27(写真先頭車はクハ485-3011) 1313発 2005M[特急 いなほ5号]新潟→秋田
 
【撮影日:07.09.23./掲載日:18.07.21.】
 駅舎から一番離れた4番線に停車中の米坂線列車。
 4番線の海側(写真右側)には広大な草生した平地があるが、かつてここには大きな貨物ヤードがあり、秋田側には坂町機関区があった。現在でも機関区の転車台が残されており、米坂線で臨時のSL列車が走行するときに使われていたらしいが、そこも掲載日現在は緑の中に埋もれているらしい。
 米坂線は奥羽本線の支線なので、起点が米沢で、坂町が終点である。掲載日現在の羽越本線と米坂線を直通する[普通]は、坂町で列車番号を変えて走行線区での偶奇性を揃えている。しかし新潟から米坂線を直通する[快速 べにばな]の列車番号は、掲載日現在でも坂町で変更を行わないため、羽越本線内では偶奇性が逆転している。[快速 べにばな]の前身にあたる[急行 あさひ]は偶奇性をそろえて列車番号を変えていたことからすると奇異である。

 ◆写真の列車情報◆ 新ニツ キハ47 515 (+キハ52 120)1333発 1130D[普通]坂町→米沢
 
【撮影日:07.09.23./掲載日:18.07.21.】
 なんだか煮え切らない表示の1131Dの行先サボ。区間を汎用で使えるようになっており、手抜きで不親切である。作業の簡素化ということは理解できるのだが、利用者側からすると意味不明なところがある。
 当時の米坂線の[普通]列車は米坂線内で完結しており、坂町を越えて直通しているのは新潟発着の[快速 べにばな](…とはいっても、当時既に米坂線内は各駅停車)だけであったので、サボの表示にある全区間を通しで設定している列車は当時存在していなかった(掲載日現在は新津→米沢の片道1本が存在する)。また羽越本線側だけで見たとしても、当時の時刻表では新津ー新発田 間の気動車列車は6往復(新津ー坂町 間運転の下り1本を含む)だったので、回送によって機関区または新発田から米坂線に送り込まれていた可能性は高いと思われる。
 そのようなことを勘案すると、この表示が運用する側の都合で作られたもので、利用者本位になっていないことが解る。
 
【撮影日:07.09.23./掲載日:18.07.21.】
 2項上の写真の列車の新津側にはキハ20系列の2エンジン車であるキハ52が連結されていた。この当時のキハ52形は、写真の新津運輸区のもの以外では、大糸線の非電化区間に使用されていたものしか現役で運用されていなかった。両線に共通するのは、勾配が大きめでることと降雪地帯を走るというところである。全国的に見ても貴重になっていた車輛に乗車できたことはラッキーであった。

 ◆写真の列車情報◆ 新ニツ キハ52 120 (+キハ47 515)1333発 1131D[普通]坂町→米沢
 
 

▲このページのTOPへ戻る