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信楽高原鐵道 信楽線
貴生川 【次の掲載駅】 紫香楽宮跡
小野谷(信号場) Onodani Signal Sta.
 ●2016年10月 訪問時
【撮影日:16.10.08./掲載日:16.10.20.】
 貴生川から6.5km(営業キロ)の地点にある信号場を、上り列車の車内後方から撮影(奥側が信楽方向)。信楽線の営業キロは14.7kmあるので完全な中間ではないが、ほぼ中間地点にあると言ってかまわないと思う。この場所は貴生川側に流れる杣川の支流・滝川と、紫香楽宮跡側に流れる大戸川の支流・隼人川の分水嶺に存在する。おそらくだが信号場を造る際、勾配区間となってしまう完全な路線の中間地点よりは、列車が停車しやすい水平に近い土地がとれるこの地点を選んだのかなと推測する(写真では左側に下り2‰の標識が見える)。列車に乗っているとここを境に上り坂から下り坂に変わるような感覚がある。
 写真で見ると、後付けで造られた信号場らしく、まっすぐな本線から分かれる形で側線(元・上り線)が設定されていることが解る。
 一部に、この場所の読みを清音の「おのたに」と紹介されているホームページが散見されるが、例えば『停車場変遷大辞典 国鉄・JR編』(JTB・1998(平10)年)では濁点ありの「おのだに」とされているので、おそらく清音での表記は誤りである可能性が高い。
 
 
【撮影日:16.10.08./掲載日:16.10.20.】
 この写真は信号場の信楽側の分岐器と信号機の様子を車内後方から撮影。こちらの写真は、撮影順番でいえば上の写真のひとつ前になる。
 信楽高原鐵道というと1991(平3)年に発生した事故のこと思い出してしまうが、小野谷信号場もその関わりが深い。この信号場は信楽で春に開催される「世界陶芸祭」への旅客輸送力増強を目的に、同年3月に開設されたが、事故は5月に発生し、以来信号場は廃止されることなく休止状態で撮影日現在も存在している(※事故の詳細等については他のホームページを参照されたい)。信号場として機能していたのは事実上2ヶ月だけということになる。「世界陶芸祭」の方は毎年開催する催し物として企画されていたが、同年の開催も途中中止となり、翌年以降の開催も中止となっている。(秋に開催されている「信楽陶器まつり」は事故の年以外は現在も続けて開催されており、私の訪問時も陶器まつり期間中であった)
 現状、分岐器は直進側固定とされており、信号機は写真のように横に向けて機能を停止している。
 事故そのものについてはこの場所で発生したわけではなく、紫香楽宮跡駅側から貴生川側へ0.5kmほどの場所になる。私が報道で知る限りの事故当時の現場は道路と平行した山間部だったような気がしたが、訪問時には事故現場のそばには新名阪高速道路の信楽インターの出入口ができいるのが車窓から確認でき、予想していなかった変貌ぶりに驚いてしまった。
  
 
 

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