| 近江鉄道 八日市線 | |
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| 新八日市 | Shin-Yokaichi |
| ●2016年10月訪問 | |
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【入手日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 |
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【入手日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 当駅を訪問した時間は平日ではあったが、窓口営業をしていない時間帯にもかかわらずスタンプが設置されていた。 図柄は当駅の駅舎。出入口部分に突き出た屋根のてっぺんにある飾りの意匠も強調して描かれている。 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 訪問当時は近江鉄道標準のフォーマットであったが、掲載日現在はデザインを新たにした駅名標となっている。 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 当駅の駅舎は、湖南鉄道が当駅の開業から9年後の1922(大11)年に建てられたものという。当時は湖南鉄道、のちに八日市鉄道の本社を兼ねた木造の建物であったが、現在は写真の駅舎の右側にあったという平屋部分が解体され、2階建ての直方体の部分だけが残されている。 灰緑色の名駅舎として知られているが、訪問当時は正面の右半分が蔦で覆い尽くされており、特徴である縦長の窓も見えない状態になっていた。でも正直言ってこの蔦の覆い方は綺麗とはいえずもったいない。少しは手入れした方がいいように思うが…、お金の問題があるから放置されているんだろうなぁ。私の訪問後も蔦は繁茂を続けてたようだが、最近は根元の部分が切られて、枯れた蔦が壁に貼り付いた状態になっているようだ。 訪問当時の当駅の営業は平日のみで時間限定となっていた。 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 ホーム側から駅舎を見た様子。写真の駅舎側面を見ると、1階部分の壁は様子を異としており、かつて平屋部分があったんだなということが想像できる。でも、なんか蓋をされた壁部分はやっつけ仕事になっているようで、駅舎の佇まいを損ねている。ホーム側はあまり蔦に覆われていないところはいいのだが、駅舎1階の壁部分は灰緑色の塗装がされている。これはもしかしたら、2階部分は木材むき出しになっているが、かつてはこちらも灰緑色に塗られていたものの、塗装が剥げ落ちてしまったということになるのだろうか。 鉄道ファンには知られた名駅舎ではあるが、…まあいずれにしても、あまり手入れがされていないということなのだろう。この先のこの駅舎の扱いが気に病まれる。 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 改札口の様子。木枠の窓口、木製の改札ラッチ、少し荒れが見えるコンクリートの床面もそうだが、レトロな要素が満載である。そのなかでやや異彩を放っている自動販売機は何を想うのだろうか。 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 窓口とは180度反対側の待合所の様子。広告類などがなく、これが建物の状態が解りさっぱりしていいと感じるか、雑然としたものがなく寂しいと感じるか、評価が分かれるところだ。ただ年季が入って味わいを感じる駅舎であることには間違いない。 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 改札口を上りホーム側から見たところ。改札とホームには段差があり、3段の階段で両者を繫いでいる。ただ改札口の間口に対して、階段の幅が無駄に広いのはかなり謎である。階段は駅舎に比べて新しいので後年整備されたモノと推測するが、部分的に柵で区切ったりするよりかは面倒がなかったのかなぁ、と思ってしまう。 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 駅舎から下りホームへ向かうには構内踏切を渡る必要がある。そこで目にするのは「下り近江八幡方面/関西ハム(株)」と書かれた看板。駅ホームに掲げる看板としては小さなモノだが、そこがまたレトロさを感じてしまう。 ちなみに関西ハムという会社だが、名前だけを聞くと大手っぽく感じてしまうが、正式名称は「ミートショップ関西ハム」という、ハム、ソーセージ、近江牛などを販売する、武佐駅最寄りの近江八幡市にある小さな会社である。 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 当駅を出発し、八日市に向かう赤電塗装の800系電車。 かつて当駅からは御園駅(旧・飛行場前駅)方面に延びていた八日市線の線路があった。しかしながら当駅から延長されたわけではなく、太郎坊宮前側に100mほど戻った場所に分岐する箇所があった。従って近江八幡方面から来た列車は新八日市に到着後、進行方向を変えて太郎坊宮前側に一度引き上げ、再び進行方向を変えて御園方面へと走っていたという。この方法は国鉄五日市線の列車が拝島側から武蔵五日市駅に到着後、通称・山内信号扱所まで後退したあと再び進行方向を変えて武蔵岩井方面に向かっていたことと同様だ。また御園方面が開通した当時の新八日市駅は近江鉄道の八日市方面への線路が開通していなかったので、終端駅であったことも武蔵五日市駅と共通する。 でも当駅の場合分岐点が100m太郎坊宮前側にあったとするなら、新八日市駅を200mほど太郎坊宮前駅側に移設するということは考えなかったのだろうかと疑問が湧く。もともと分岐位置を100mずらしたのには、近江鉄道本線の線路を築堤で越えるには駅の位置から延長する形では高度が稼げないというのはなんとなく想像できる。そうであれば多少離れた位置にはなるが分岐線側にホームを造るとか、いっそ終端駅だった新八日市駅を分岐線側に移設するというのは考えなかったのだろうかと思うのだが、築堤の勾配上にホームを作るのを嫌ったのかもしれない。仮に分岐手前になる200mの移設だと、太郎坊宮前駅との駅間が500m程度に縮んでしまうので、それを避けたというのもあるのだろうか。まあいずれにしても駅の移設となれば多額の工事費用がかかるので、それを嫌ったというのが正解なんだろうけど。 ◆写真の列車情報◆ 800系820番台 モハ822(+モハ1822) 1028発[普通]近江八幡→八日市 |
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【撮影日:16.10.07./掲載日:26.02.12.】 駅舎を横目にホームに入線してきた800系の下り列車。 ◆写真の列車情報◆ 800系 モハ802(+モハ1802) 1042発[普通]八日市→近江八幡 |