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近江鉄道 八日市線
平田 【次の掲載駅】 近江八幡
武 佐 Musa
 ●2016年10月訪問
【入手日:16.10.07./掲載日:25.11.24.】
 
【撮影日:16.10.07./掲載日:25.11.24.】
 ここに隠れ「USA」が。そんなこと書いたら、武蔵なんたら駅を含め、探せばいくらでも出てくるか(笑)。
 
【撮影日:16.10.07./掲載日:25.11.24.】
 駅舎は上りホーム側に建てられている。駅舎は比較的新しく見えるが、2000(平12)年に改築されたとのことなので、実際の駅舎の年齢は見た目よりはかなり長いことになる。かつては東洋カーボン(現 東海カーボン)の貨物取り扱いがあった頃は有人駅であったそうだが、貨物取り扱いの廃止、列車のワンマン化を経たのちに無人駅となった。
 
【撮影日:16.10.07./掲載日:25.11.24.】
 上りホーム改札口脇に掲げられた時刻表の隣に、武佐宿を紹介する看板が掲げられていた。
 武佐宿は中山道66番目(この看板では67番目と紹介されている)の宿場で、隣は江戸側が愛知川宿、京都側は守山宿となる。また武佐は八風(はっぷう)街道という道の終点で、かつては伊勢四日市から東海道、中山道へ繋がり、京都方面へ短絡や、東海道の盗賊の多さや鈴鹿関の厳しさなどから、抜け道として使われていたとのこと。道としては武佐から八日市へ向かい、そこから八風峠で鈴鹿山脈を越えたのち、三岐鉄道の保々駅付近を抜けて、街道起点の三岐・JRの富田駅付近へ至る。ちなみに八風峠の前後区間は車での通り抜けは不可能となっており、車は北側の国道421号の石榑トンネルへ迂回する必要がある。
 
【撮影日:16.10.07./掲載日:25.11.24.】
 八日市側にある上下ホームをつなぐ構内踏切から近江八幡方向を見る。この構内踏切からは駅舎の反対側となる写真左側より駅の出入りが可能である。左側ホームが下り、右側ホームが上りとなる。
 ホームの近江八幡側の先には、旧中山道が交差する武佐踏切がある。かつてこの踏切付近から駅に隣接する東洋カーボン(現 東海カーボン)滋賀工場の短い専用線が分岐していた。この専用線は1984(昭59)年に廃止されている。この専用線の様子は国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスから知ることができるが、ただ写真にこの専用線が捉えられているの1975(昭50)年のものだけで、その前に撮影された1967(昭42)年の写真には、専用線はもちろんのこと、工場の姿もない。工場の開設がいつだったか情報を拾えなかったが、おそらくこの専用線は十数年程度のかなり短命な路線であったようだ。
 運転されていた貨物は近江八幡からの一駅区間の列車で、無蓋貨車8輛程度に車掌車を繫いだ編成であったようだ。ただ専用線側には機回し線が無く、武佐駅の交換線の編成有効長が貨物の編成よりも短いため、上り貨物は駅到着後に貨物編成を半分に割って機回しを行うという面倒な作業が行われていたようで、踏切も長い時間封鎖されていたという。
 機回しのイメージとしては、駅到着後に(八日市←)「機貨貨貨」「貨貨貨掌」(→近江八幡)の編成に分割し、近江八幡側の編成をホームに残して八日市側の編成を編成ごと機回し、「貨貨貨掌」+「機貨貨貨」の編成を組成する。次に八日市側になった編成を単線区間に一旦押し出した後、「貨貨貨掌機」「貨貨貨」に分割し、八日市側編成を機回しする。そして「貨貨貨」+「貨貨貨掌機」の編成に組成されて、機関車位置がようやく逆側に移動される。その後編成は一度近江八幡側に進出し、ようやく専用線に押し込まれる。
 ちなみにこの東海カーボン滋賀工場は2025(令7)年7月に操業を終了している。
 
【撮影日:16.10.07./掲載日:25.11.24.】
 かつての中山道宿に到着する、赤電仕様の800系。

 ◆写真の列車情報◆ 800系820番台 モハ1822(+モハ822) 1017発[普通]近江八幡→八日市
 
 

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