| 近江鉄道 本線 | |
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| 五箇荘 | Gokashō |
| ●2016年10月訪問 | |
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【入手日:16.10.09./掲載日:25.11.19.】 同じ読みではあるが、駅名は「五箇荘」と書き、東近江市と合併する以前の当地の自治体(町)は「五個荘」と書く。 歴史的な観点から行くと、古来よりは"箇"の字が使用されていた。"個"については1889(明22)年の町村制施行時に二つの村がこの表記(北五個荘村、南五個荘村)を採用したのが始まりとのこと。ここでなぜ漢字を変えたのかは不明だ。当駅が北方の旧中山道の踏切付近にあった小幡駅を移転させて開業したのは1910(明43)年のことになるが、この際に駅名は"箇"の字が使われた。自治体名と駅名で漢字が不一致となるケースはまま見られることではあるが、当駅は結果的に自治体名には合わせなかったということになる。こちらも理由は定かではないが、新しい漢字より馴染みがある漢字が採用されたということになるのだろうか。 ちなみに字義的な観点から行くと、"箇"も”個”も数詞として使われる昔からある漢字で、カウントされるものも差別されておらず、意味として変わらないという。しかし日本では"箇"の方が古来から一般的に使用されていたとのこと。 |
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【撮影日:16.10.09./掲載日:25.11.19.】 駅名標と新幹線の2ショットを撮影。でも新幹線は防音壁のせいであまり見えなかった。 2025(令7)年5月からは、「行田電線滋賀工場前」の副駅名が付く。 |
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【撮影日:16.10.09./掲載日:25.11.19.】 当駅の駅舎は2000(平12)年竣工。駅舎は木造瓦葺きの建物だが、当地が近江商人の礎となる小幡商人発祥の地ということで、商家風の造りとなっている。駅舎は東近江市シルバー人材センター五個荘事業所との合造となっており、同センターが無人駅の駅舎管理も行っている。 当駅の前身となる小幡駅は、この地に近江鉄道が開通した翌年の1899(明32)年に開業した。当初は現在駅より200mほど彦根側に寄った、旧中山道の踏切の場所付近にあったそうだ。 現在の駅も小幡の地域にはあるが、おそらく旧小幡駅付近は古くから町が形成されていたのだろう。…と思って調べてみると、小幡はかつて、東海道の土山宿(近江鉄道の水口より東南東方向)と東海道の愛知川宿を短絡する御代参(ごだいさん)街道の宿場町であったそうだ。この御代参街道には、伊勢神宮と多賀大社に参詣する京の公卿たちが使っていたという話や、徳川第3代将軍・家光の乳母であった春日局も通ったという記録が残されているようだ。 |
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【撮影日:16.10.09./掲載日:25.11.19.】 駅派無人駅ということもあり、ひっそりとしているが、木の壁のおかげで多少は温かみ感があるのは救いだ。 写真の正面は窓口があるように見えるが、下部が何かのショーケースとなっているので、窓口というわけでもなさそうだ。 豊郷駅でも思ったのだが、「午後の紅茶」の広告がやけに気になってしまう(笑)。 |
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【撮影日:16.10.09./掲載日:25.11.19.】 五箇荘 → ごかしょう → ごうかしよう → ごうかくしよう → 合格しよう。なんかちょっと変換が苦しくないかな(笑)。でも駄洒落的なことをしてまでも縁起駅として注目を集めようという考え方、嫌いじゃありません(笑)。 当駅は無人駅で切符の販売なく、他の有人駅でも普段からこれにちなんだ縁起切符の販売が行われていないのは残念だ。ただ過去には期間限定で「合格勝利きっぷ」というものが有人駅と通信販売で発売された。2022(令4)年度の販売では、勝運に利くとされる太郎坊宮から授かった「己に克つ総てに勝つ」の言葉が書かれた台紙と、五箇荘→太郎坊宮前、太郎坊宮前→桜川のきっぷが各1枚入ったものだった。 |
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【撮影日:16.10.09./掲載日:25.11.19.】 下りホームの米原側から貴生川方向を見る。 訪問当時は2面2線の列車交換が可能な駅となっていた。かつての下りホームは島式ホームであったが、近年のバリアフリー工事で左側にあった側線上にスロープを設置したために使用不可能となってしまったそうだ。 高宮駅の南西から愛知川駅の南西まで近江鉄道本線と並行してきた東海道新幹線とは、愛知川の橋梁付近で一旦やや離れて、当駅のすぐ南西側でクロスしてようやくお別れとなる。 |
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【撮影日:16.10.09./掲載日:25.11.19.】 五箇荘駅には貴生川側で本線から分岐する側線がある(右が本線、左が側線)。かつては愛知川から砂利を採取するために戦中に建設されたいわゆる"砂利線"だったが、現在では河原に近い部分の線路は剥がされたものの、線路のバラストやレールを運び込むための工臨列車が走る線路として現役である。とはいっても工臨が走行する機会は年数回とかなり稀のようだ。かつては電気機関車牽引だったが、その後は事業用車として残されている単行電車の220形が貨車を牽引しており、この側線を運転する際は、220形を米原側に連結してプッシュで貨車を押し込んでいたそうだ。しかし最後に残されていた220形226は2024(令6)年に廃車となっており、現在はどのような運転がなされているのであろうか。 |
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【撮影日:16.10.09./掲載日:25.11.19.】 駅を出発した900形「淡海号」編成。広告ラッピング編成を除くと、同形は独自の塗装がされているので、近江鉄道の編成の中では目立つ存在である。 ◆写真の列車情報◆ 900系 モハ1901(+モハ901) 1103発[普通]高宮→貴生川 |