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東武鉄道 亀戸線
亀戸水神 【次の掲載駅】 小村井  
東あずま Higashi-Azuma
 ●2019年6月訪問時
【購入日:19.06.22./掲載日:19.07.30.】
 
 
【撮影日:19.06.22./掲載日:19.07.30.】
 1928(昭3)年に平井街道駅として開業した当駅。この旧駅名の街道につい現在はそれを示す通りの名前が無いようだが、当駅付近から旧中川を渡った先にある燈明寺(平井聖天・関東三大聖天のひとつとされる)へ続く「平井道」がそれとされる。この道はその先も続き、途中開鑿された中川で分断されているが、今井街道、行徳街道(行徳道)へと続いていたそうだ。
 1956(昭31)年に現在の駅名に改称している。当時としては仮名混じりの駅名が誕生したのは珍しかったのではないかと思う。実際これを全て漢字で書けば「東吾嬬」となるわけだが、"吾嬬"の部分は漢字が難しいとか読みにくいということで仮名書きにしたとは推測できるが、その一方で漢字が読める人ならこの土地を知らなくても初見で"あずまあづま"と読む人はいないだろう。また"吾嬬"の字が読みにくいというなら、都営浅草線の本所吾妻橋駅のように(由来となった橋は"嬬"の字を使用していたのに)常用漢字の"妻"の字を充てるという方法もあったのではないかと思うが、本所吾妻橋駅の営業開始は1960(昭35)年だったので、書き換えるというアイデアは無かったのではないかと思う。さらにいえば、"吾嬬"の仮名書きは本来"あづま"のはずだが、駅名では"づ"ではなく"ず"を使用している。ちなみに前出の本所吾妻橋駅の仮名書きは"づ"を使っている。こうやって考えると、なぜ「東あずま」という表記の駅になったのかがとても不思議である。
 ちなみに駅の東にある、東吾嬬小学校は駅名改称と同じ1956年の開校であるが漢字を使用し、さらに駅の西にある旧・第一吾嬬小学校は2008(平20)年に立花小学校と合併した際に立花吾嬬の森小学校として発足しており、いずれも現在の住所表記では消えてしまった"吾嬬"の漢字を使用している。
 
【撮影日:19.06.22./掲載日:19.07.30.】
 この駅舎を見ていると、なんだか昭和の時代から変わらず続いている古く小さな個人商店のように見える。そう思わせる理由は、入口上部に見える色褪せた白と黄色(?)を交互に入れた樹脂板(?)による壁や、左側に見える2階建ての建屋が醸し出している雰囲気である。日本全国どこか探すと、このような建屋の駄菓子屋か八百屋が実際に存在するのではなかろうか…?
 
【撮影日:19.06.22./掲載日:19.07.30.】
 駅の亀戸寄りにある踏切からホームを眺める。ホームがカーブした区間に設けられていることが判る。
 
【撮影日:19.06.22./掲載日:19.07.30.】
 駅に到着した下り電車。
 亀戸線全駅には、ホームドアを設置ないし代わりにホームセンサーが設置されている。タイプが異なるホームセンサーは越生線で設置されており、越生線では停車した列車の連結部の箇所にだけ柵が設置されているが、亀戸線では2輛編成だからというわけではないが柵は設置されていない。というのも中間駅ではホームの幅が狭く、たとえ連結面でも柵を立ててしまうと通行の障害になりかねないためと思われる。
 亀戸線の中間駅ではホームに白線を2本引いて乗降時以外にホーム端に立ち入らないように注意をする掲示をし、列車がまだ入線したいないときでも時折駅員さんが白線から踏み出さないように注意を促していた。とはいっても列車が来る時間になれば客の列も伸び、白線を跨いで移動する乗客も少なくない。そして列車が入線するときは、列車が他の線区に比べてもゆっくりと滑り込んでくる。
 このようなセンサー式のホームドアは名鉄三河線でも見たが、本当に客のための安全を図るために役立っているか、その投資効果に見合ったものになっているか大きく疑問である。亀戸線の場合、ホーム幅を広げなければ根本的な解決はできない気がするが、物理的にそれがままならないのも事実である。

 ◆写真の列車情報◆ 8000系 8570F[2輛編成:写真先頭はクハ8670] 957発 A14[普通]亀戸→曳舟
 

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