HOME関東小田急電鉄小田原線

小田急電鉄 小田原線
海老名 【次の掲載駅】 本厚木
厚 木 Atsugi
 ●2015年8月訪問時
【購入日:15.08.11./掲載日:15.09.11.】
 
 
【撮影日:15.08.11./掲載日:15.09.11.】
 駅名標が証明しているが、厚木駅が厚木市ではなく海老名市にあることは有名な話。これは1926(大15)年、当地に最初に鉄道を通した相模鉄道(現JR相模線)が相模川の左岸を通したために、右岸にある厚木町を経由できなかったため、厚木町の最寄りの対岸に開設し、そこを「厚木」と名乗らせたことによる。その後、1927(昭2)年に小田急が同地に全線開業と同時に駅を開設するが、そのときの駅名は当地の地名である「河原口」だった。小田急駅の「厚木」改称は、相模線の国鉄買収と同日(1944(昭19).06.01.)だった。
 ちなみに駅名に関しては、長年、厚木市などから改名の要請が再三再四出ているようだが、小田急もJRも諸事情を抱えているということで改名する意思を持っておらず、当面改名することはなさそうだ。もし海老名市がこの周辺を大規模開発とかをすれば改名の可能性は高くなるかも知れないが、それも現状あり得ないだろう。
 話は変わって2013(平25)年に、圏央道が小田急線を跨ぐ区間を開通させた。圏央道の茅ヶ崎から(写真左方向)小田急線を跨いでしばらく北側(写真右方向)まで進んだところまでは相模川の左岸を通るが、ここより1kmほど北側で相模川を渡り、右岸にスイッチする。
 写真の中央よりやや上に、左右に横切る高架桁が写っているが(ちょっと判りにくい)、これが圏央道で、高架の小田急線のさらに上を通している。かつて車窓越しにこの辺りを見た景色と比べると、厚木駅の西の空は少し小さくなった。
【撮影日:15.08.11./掲載日:15.09.11.】
 駅舎にかかる駅名標には、小田急とJR両社のマークが見えるが、デザインは小田急のもの。
 かつてはこの駅舎前の通りを、長後駅-本厚木駅 間の神奈川中央交通のバス(1998(平10)年では夜間に1往復のみ)と、当地から海老名駅を結ぶ相鉄バス(1998(平10)年では日中に4往復)が細々と営業していたが、現在は路線が皆無となってしまった。
【撮影日:15.08.11./掲載日:15.09.11.】
 駅はJRと小田急の共同使用駅で、管理は小田急が行っている。よって自動改札も小田急カラーとなっている。
 小田急とJRの間にも乗換改札機のように自動改札があり、厚木駅を利用するJRの旅客は2度自動改札を通ることになる。こちらのJR改札の頭上には、厚木駅までの切符しか持っていない小田急の旅客に対して「厚木駅までの乗車券のみでは通過できません」
という注意書きが貼り出されている。
【撮影日:15.08.11./掲載日:15.09.11.】
 上りホームを通過する[回送]。新宿側の4輛附属編成は写真のような8000形だが、小田原側の6輛基本編成は1000形を連結していた。8000形の運転台のデザインはあまり好みではないが(でもNゲージは持っている(笑))、今となっては白地に青帯の唯一の形式。私が思う「小田急色」はいつまで残ってくれることだろうか。

 ◆写真の列車情報◆ 喜多見検車区 8000形 クハ8051(8051F・4輛編成+他6連) [回送] (時刻・列車番号不明)
【撮影日:15.08.11./掲載日:15.09.11.】
 4000形による[準急]本厚木ゆき。掲載日現在でネットの時刻表を調べてみると、厚木にやってくる下り[準急]はわずか平日に3本だけで、内訳は2本は千代田線直通の本厚木ゆき、残り1本は成城学園始発の新松田ゆきという状況だ。そして休日に至っては設定されていない。意外に写真のこの列車も希少種に近い。一方で上り[準急]については朝のラッシュ時を中心に何本か設定されている。
 それはさておき、4000形の正面のブルーと、同じ色で塗られたホーム上屋を支える鉄骨とのバランスが、ちょっと綺麗に見える。

 ◆写真の列車情報◆ 喜多見検車区 4000形 クハ4560(4060F・10輛編成) [準急](千代田線)-本厚木 (時刻・列車番号不明)
 
 
【購入日:92.06.28./掲載日:15.09.11.】
 番号:4672
 
 

▲このページのTOPへ戻る