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京王電鉄 京王線・相模原線
新宿 【次の掲載駅】 狭間
調 布 Chōfu
 ■パスネット
【購入日:05.04.--./掲載日:18.04.21.】
 このパスネットに使われている写真は、いつ撮られたものか考察をしてみた。
 まず京王線の輸送の歴史を調べてみた。終戦後の京王は14m級の小型車が2輛編成で運用されていたが、間もなく輸送量が逼迫する状態へとなっていたようだ。そこで通称「三編工」と呼ばれる輸送改良工事が始まり、1950(昭25)年に14m級車3連での運転が開始され、翌1951(昭26)年4月に新宿ー千歳烏山間で新製した2600系(16m級車3連)が運用開始、後に東八王子(現・京王八王子)までの全線で運用が開始されている。1957(昭32)年1月に急行・準急の4輛化、同年11月に全車4輛化、1960(昭35)年10月には14m級車の5輛化、1963(昭38)年4月に高幡不動以東の16・17m級車の5輛化と順次増強されていく。18m級車である初代5000系が登場するのは昇圧後の1963(昭38)年10月のことである。
 写真に見える調布駅は2面3線の構造であることが判るが、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスと合わせて考えると、移転前の地上駅であると思われる。現在は幹線同等の機能を持つ相模原線も、当時はひと駅先の京王多摩川で終端となる支線であった。しかし支線とはいっても規格は複線で、京王閣への旅客輸送(戦前は遊園地、戦後は競輪場)、多摩川からの砂利輸送と、ある程度の利用があったようだ。後の地上駅の調布駅は、1953(昭28)年12月に写真のホームの奥に見える踏切の、さらに奥(200m新宿寄り)へ移転している。
 そしてよくよく写真を見てみると、駅前の電話ボックスに日本電信電話公社の円いTSTマークが見え(意味合いからするとTelegraph / Telephone / Serviceの順?)、懐かしい。その電電公社の設立は1952(昭27)年8月のことである。
 このことと、ホーム移転工事が始まっている様子が見られないことから、この写真は「三編工」後の駅の姿で、1952年8月から1年以内に撮影されたものと推測される。…調べた結果、意外に時期が狭く絞り込める事ができたので、個人的に驚いてしまった(笑)。
 ちなみにパスネットのお題目の「調布市制50周年」についてだが、北多摩郡調布町が市制を施行したのは1955(昭30)年4月のことで、写真が撮影された時期より後ということになる。
 
 

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