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JR東日本 中央本線・八高線・横浜線
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八王子 Hachiōji
  

【入手日:1986.04.--./掲載日:21.06.27.】
 1986(昭61)年3月3日改正時の八王子駅・豊田駅・京王八王子駅の3面折りのポケット時刻表。上段画像に京王八王子駅と八王子駅横浜線の時刻、下段画像には八王子駅・豊田駅の中央線の時刻、八王子駅八高線の時効が印刷されている。おそらく八王子駅で入手したものと思っているが、それにしては京王八王子駅の時刻が入っていたりするので、八王子のなにがしかの商店会か印刷所が作成したものと思われる。ただこの時刻表、中央線の[快速]系統の休日の時刻が印刷されていないという欠点がある。入手した時期は、同年の4月から八王子にある学校に通い出したことから、その時期以降になるはずだ。
 当時の中央線ホームは3・4番線を使用していたが、朝ラッシュ時だけは上り列車は2番線を使用していた。そしてその時間帯の3番線には4本の八王子始発が設定されていた。後に夕ラッシュ時も上り列車は2番線を発着するようになったそうだが、投稿日現在のように2番線が正式に中央線上り本線となるのは、高尾側の分岐器の分岐側の速度向上改良工事などが終わる1999(平11)年のことになる。当時の[特別快速]はまだ日中のみの運転のみで、掲載日現在のように運転時間帯が拡大するようになるのは、1998(昭63)年の国分寺駅2面4線化工事が終わり、国分寺に停車する[中央特快]として生まれ変わって以降のことになる(同時に誕生した[青梅特快]は、当初は国分寺を通過)。一方中電については、まだ新宿に発着する[普通]は少ないものの複数確認できる。また「列車上り」の新宿行き列車に対する「△立川停車」の表記から、まだ中電の三鷹停車が開始されないことが判る(三鷹停車は1986(昭61)年11月、西八王子停車は1989(平1)年3月、日野・豊田停車は1996(平8)年12月から)。またこの頃はまだ[急行]も多数運転されており、飯田線直通の[こまがね]も現役だった。ちなみに、この時刻表には無いが、臨時の[みのぶ]や、臨時格下げされた[かいじ][かわぐち]もまだ運転されていた。この時刻に印刷ミスがあり、八王子駅中央線「列車」上り、17時53分発の[特急]が青字で印刷されている。また八王子駅と豊田駅とで、[特別快速]の表現方法が異なっていて、ちょっと迷わせる。しかも車庫がある豊田駅には豊田始発の列車の表示がないのは片手落ちである。
 横浜線については、当時は発着ホームは5番線の1線しかなかった。時刻を見ると日中は3本/時ではあるが、等間隔の発車になっていない。というのも、当時の日中の横浜線は5本/時の運転を行い、そのうち2本は橋本折り返しとなっていたのだが、これが12分間隔ではなくて約15分間隔のところに1本列車を増発(橋本折り返し)したようなバランスの悪いダイヤであった。その後、横浜の全線複線化(最後の単線区間は相原-八王子 間)が1988(昭63)年3月、103系の撤退が1989(平1)年2月、ホームが2面2線化し相模線が電化されて乗り入れてくるのが1991(平3)年3月のことになる。掲載日現在では、日中の電車は[普通]と相模原まで各駅に停まる[快速]が交互に約10分間隔で発車している。
 八高線は当時はまだ非電化で、運転本数も1時間に1、2本で、間隔が1時間も空くことも珍しくなかった。電化されるのは1996(平8)年のことになる。
 京王八王子駅についてはまだ当時は地上駅で、地下化されるのは1989(平1)年4月のことになる。ダイヤの面では運転種別などは変わっているものの、本数的には掲載日現在と大きく変わっていないように見える。
 ちなみにこの時の最期の国鉄ダイヤとなった改正では、京葉線・西船橋-千葉港 開業、埼京線新宿延伸、予讃本線の内子ルート開業などがあった。
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