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常北太田 Jōhoku-Ōta
 ◆2004年10月 訪問時
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.11.21.】
 きっぷにはしっかりと「入鋏省略」の印字が入っている。この訪問の時に常北太田の他に久慈浜、桜川、鮎川で券売機から切符を購入しているが、他に入鋏省略の印字が入っていたのは久慈浜だけだった。
 
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.11.21.】
 駅名標には、表示に書かれている通りに「西山荘」のイラストが入れられている。「西山荘」は黄門様こと水戸光圀が隠居をしていた場所として知られている。テレビドラマではここから全国各地へ旅立っていくわけだが、実際にはここで「大日本史」の編纂に注力していた。光圀が西山荘を隠居所として使用していたのは、水戸藩主を辞した翌年から死去するまでの9年ほどであったそうだ。
 
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.11.21.】
 写真は駅舎となる建屋は1972(昭47)年に建てられたそうだ。駅は写真右側の自動販売機が並べられているところのすぐ左隣で、入口上部にあまり目立たない駅名表示がされていた。表示が目立っていたのは関連会社の日立電鉄観光の方で、この太田旅行センターは鉄道廃止後もしばらく営業を続けていたそうで、ここでバスのきっぷも販売されていたという。そうするとこの2階はなんだろう…ということになるが、ここが何か具体的な記述を示すものは探せなかった。想像だが、ここに列車の運転関係を行ってる詰所か、はたまたバス関係の詰所ではないかと想像をする。
 ちなみに掲載日現在、駅のあった場所はカワチ薬局 常陸太田店となっている。
 
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.11.21.】
 常北太田駅の構内は2面3線のホームと、3番線の外側に側線が1本がある形。1番線の南端からちょっと歩いたところに駅舎があり、島式の2・3番線ホームは南端(大甕側)にある構内踏切で結ばれていた。
 駅の線路末端側には、2000形・3000形が多く押し込まれていた。2000形は17輛、3000形は7輛が配置されたが、この当時は全列車2輛編成運転と大幅な列車運転本数の削減が行われたために、計24輛中10輛が休車となっており、他2輛が予備編成、別の2輛が「ビア電・呑電」用ということで、通常運用されていた車輛は10輛ということになっていた。おそらく休車となっている車輛は、久慈浜に1輛、鮎川に2輛あっと思われることから、当駅には7輛の休車がいたことになる。あと写真の中には予備車の2輛もいたものと思われる。
 
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.11.21.】
 駅を出発して、すぐ南側にある国道293号の踏切を通過した鮎川ゆきの列車。
 私がこの写真を撮影した背後の左方向には「太田駅前交番」というのがある。常北太田駅がなくなり、常陸太田駅の入口も全く別の場所となった掲載日現在も、交番は同じ名前のまま(=駅前という言葉を残したまま)その場にある。

 ◆写真の列車情報◆ 2000形2004編成 2004(+2213) 1121発 22[普通]常北太田-鮎川
 
 

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