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JR東日本 常磐線
坂元 【次の掲載駅】 浜吉田→ 
山 下 Yamashita
 ●2022.05.訪問時
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.24.】
  
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.24.】
 当駅の駅名標も両矢印表記。当駅は1面2線で、山側の1番線が1線スルーとなる構内配線になっており、2線とも上下方向への到着・発車が可能となっている。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.24.】
 写真は山下駅を海側から見たところ。実際の所、海側はどちらかというと裏口で、山側が表玄関ということになる。もちろん山側からも写真を撮ることも試みたのだが、スーパー(フレスコキクチ 山下駅前店)の建物と、ロータリーの歩道にかけられた屋根のおかげで、駅舎としての存在感が薄い感じの写真しか撮ることができなかった。
 駅前には前述のスーパーの他にもいくつか店舗が建ち、山側に新たに造成された「つばめの杜」という住所表示の住宅地が広がり、新地駅で感じた淋しさは全く感じられなかった。また坂元駅とは違うのは、ここより旧・山下駅付近までの海側にも新たな住宅が建てられている様子が見られることである。
 当駅は仙台まで電車で45分前後かかる。地方としては少々長めの通勤距離かもしれないが、当駅は朝夕を中心に当駅折り返しの列車もあることから着席通勤が可能な場所なので、住むには意外と人気がある場所なのかもしれない。
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.24.】
 改札口付近から、ホームをつなぐ昇降階段方向を見る。写真の右枠外に自動券売機があり、写真左に進むとSuicaリーダーと窓口があり、左にちょっと見える待合室を過ぎるとエレベータがあってその奥に階段となっている。
 訪問時窓口は閉じていたが、当駅も坂元駅同様にJR東日本東北総合サービスによる委託営業で、窓口営業は時間が細かく区切られていた。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.24.】
 写真の鋼板を"く"の字に曲げただけの326kmキロポストは2番線側に設置されている。この数字を見てて"3×2=6"と掛け算を思い出してしまうが、そういえば当駅より90km離れたJヴィレッジ駅には"2×3=6"の236kmキロポストがあったなぁ。
 訪問する約2ヶ月前に当地は強い地震に見舞われた。駅舎には特に損傷は見られなかったが、構造的な境界部と思われるホーム階段の2番線側の一部が線路側にせり出してしまったようで、笠石の一部が削り取られていた。アスファルトにできてしまったひびは丈夫そうなテープ(!!?)で応急的補修がなされていたが、点字ブロックの黄色い列はその箇所だけズレたままになっていた。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.24.】
 駅に到着する242M。この列車の編成の原ノ町側には701系の4両編成が使用されており、この訪問時では初めて乗車することになった。
 当駅は仙台平野の南端付近にある。高架のホームからは周囲を広く見渡すことができるのだが、このロケーションでは強風で運転抑止になることが度々発生するのではないかとチョット心配になってしまった。

 ◆写真の列車情報◆ 仙セン 701系1000番台 F4-16+E721系 P-38 (写真先頭はF4-16 クハ700-1) 1420発 242M[普通]仙台→原ノ町
 
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 ●2015.09.訪問時
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.01.15.】
 前回の訪問から約1年が経ったが、様子はそれほど変わっていなかった。
 掲載日現在で当記事を書くのに調べていて驚いたことがあった。山元町では複数のラウンドアバウト(環状交差点)の整備する計画があるそうだが、そのうち1箇所はこの駅構内だった場所に、写真の撮影方向に直進する道路(宮城県・福島県 県道38号)と線路が通っていた場所に造られる道路との交差点として造られるという。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.01.15.】
 内陸移設線の新しい山下駅となる新駅予定地を北側を通る宮城県道121号山下駅停車場線から見たところ。
 新しい駅は津波による浸水を受けたエリアに設けられるが、水深がそれほどでも無かったということなのかは判らないが、盛り土も整地できればいいくらいの高さくらいしかないように見える。これはお隣の新・坂元駅も同様である。大幅に盛り土が行われた新地駅とは対照的だ。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.01.15.】
 工事中の高架下の様子を、高架下をくぐる道路から撮影。回廊のように続く高架下の先に、高架から下りてくる階段の後ろ姿が見えた(写真中央)。あの辺に新・山下駅の駅舎ができるんだなぁ、というのが確認できた。高架の真ん中に階段があるということは、列車交換が可能な島式ホーム1面の駅になるんだなぁ、ということも判った。
 
 
   
 ●2014.07.訪問時
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.15.】
 震災では津波による浸水があったものの倒壊は免れた駅舎であったが、訪問した時にはその駅舎の姿はかった。駅舎は2013(平25)年1月には撤去されたとのこと。ただ駅舎の隣にあった公衆トイレ(写真左)は訪問時、使用可能な状態であった。
 また震災以前は駅の周辺には住宅が多く存在したようだが、津波での浸水被害が著しかったこともあって取り壊された家が多く、特に線路の海側(写真奥側)は住宅がポツンポツンと建っている状態であった。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.15.】
 訪問時はコンクリートの床だけが駅舎の場所との大きさを示すだけであった。
 駅敷地内は立ち入ることができないように虎ロープが張られていた。そのロープを張るために打たれた杭の1本には、写真を掲示した1枚のボードが取り付けられていた。
 画像をクリックすると掲示板部分を拡大表示します。
 ボードには震災前と後の駅構内の様子、震災後の駅舎の様子、浸水の跡が窺える券売機周りの様子が貼られていたが、特にそれらについて説明するキャプションは何もなかった。ボードの下には、この掲示を作ったと思われる「山元子どもも大人ももみんな遊び隊」というボランティア団体の名前が入っている。この団体は地元で町民交流を目的としたイベントを行っている団体で、おそらくこの写真は訪れた人にどんな駅があったかを知らせるために設置されたものと考える。
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.15.】
 写真は山元町役場の仮庁舎。山元町の庁舎は震災による建物の倒壊などはなかったものの損傷が激しく、訪問時は敷地内の駐車場などにプレハブを建てて業務を行っていた。ちなみに新庁舎は2019(令1)年5月、令和になるともに開庁した。
 JR代行バスの山下駅バス停は、左の2階建てのプレハブ庁舎の前に、他のバスとともに一緒に置かれていた。場所としては旧山下駅より西へ2kmあまりくらいだろうか、位置的にはかなり離れた場所にある。
 ちなみに「山元」という自治体の名前だが、町内にある2つのJR駅からも類推できるように、山下村と坂元村の合併(1955(昭30)年)によって生まれた合成地名である。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.15.】
 山元町役場のバス停には4本のバス停のポールが立ち、簡易な木造の待合室が置かれていた。
 まずは常磐線代行バスの「山下駅」バス停(左から2本目)。もとの山下駅は上項の写真でも判るように津波で損壊してしまい、また周辺の住宅も損壊したものが多かったこともあって、元の駅にはバス停を設定しなかった。もちろん2016(平28)年の内陸移転区間の開通とともに、当バス停は廃止されている。
 次に東北アクセスの「山元町役場」バス停(一番右)。この東北アクセスのバスは南相馬(原ノ町)と仙台を結ぶ高速バスで、震災後に運転を開始したもの。当時はまだ常磐自動車道の相馬-山下 間が未開通で、未開通区間は国道を走行していた。とはいえ、JR代行バスのように相馬駅と亘理駅での乗り換えもなく仙台へ直通していることや、JRと変わらない運賃設定をしていたので、当時はそれなりに利用数があったものと思われる。しかしこの訪問後まもなくの2014(平26)年12月に常磐自動車道の北側区間が浪江まで繫がったのを機に一部の便が直行運転に切り替わり、2017(平29)年に全便直行運転となって、当バス停は廃止された。
 残る2本のポールは山元町の山元町町民バス「ぐるりん号」によるもの。左のポールは「山元町役場」となっているが、もう一方(右から2本目)は「山下駅」となっていた。おそらく震災前は山下駅を発着していた系統が、震災で元の駅に乗り入れる意味がなくなってしまったために、当地に移設されたものと考えられる。ちなみに「ぐるりん号」の中には、町境を越境して浜吉田駅近くまで運転されている系統があるそうだ(震災以前より設定あり)。
 
 
 

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