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JR東日本 常磐線
山下 【次の掲載駅】 亘理→ 
浜吉田 Hamayoshida
 ●2022.05.訪問時
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 2014年に訪問したときに購入した入場券は年の表示が和暦であったが、今回は西暦になっていた。
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 当駅にスタンプが設置されていたのはちょっと意外だった。デザインは駅舎といちご。いちごは当地の亘理町やお隣の山元町がある仙台平野南部の特産品のひとつである。でもスタンプの上部にある言葉だが、確かに趣がある駅舎ではあるが、駅舎を訪れても実際にいちごの香りはしないのであしからず(笑)。
 当地には"浜吉田"という地名は無く、当地の住所は「吉田」である。おそらく吉田地区の人が多く住む場所より海側に駅ができたためこの駅名になったと思われるが、この考えで合っているだろうか? ちなみに駅の近くには「苺里」「苺浜」という地名がある。
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 写真は上りホームの駅名標。当駅への訪問は今回で3回目となるが、列車でやってきたのは今回が初めてである。
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 駅舎の佇まい自体は、前に訪れた2015年秋当時から変わっていないが、屋根に上げられていた高い2本のアンテナは撤去されていた。ということは、アンテナは仮の終端駅であった頃に運転指令とのやりとりか何かに使われたもので、内陸移転線開通で中間駅に戻ったことから撤去したということなのだろうか?
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 駅舎の中は基本的に2014年夏、2015年秋に訪れた当時から変わっていないが、Suicaリーダーは小型のものからモアイ型のものに変わっていた。常磐線の福島県内の駅では無人化が進んでいるが、宮城県にある当駅はJR東日本東北総合サービスによる委託営業となっている。駅規模としてはそれほど大きいわけではないのだが、やはり大都市の通勤圏ということが無人化しないことに繫がっているのだろうか。
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 窓口・券売機がある側とは反対側は待合スペースとなっている。駅舎はけして大きいわけではないのだが、通常の駅舎への出入口とホームへの出入口とは別に、もうひとつ写真のように駅舎への出入口が待合スペース側にも設けられているところである。ちなみにこちらの出入口側には駐輪場がある。
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 2面2線+中線1線の構内を、駅舎と跨線橋を入れて駅構内を写す。
 駅舎と跨線橋で屋根の色は似たような色が使われていたが、壁面は駅舎がクリーム色で、跨線橋が淡い水色と、なんだかアンバランス。ここは跨線橋の方をクリーム色に合わせた方がよさげな雰囲気になりそうだ。
 またこの中線は架線が張られておらず、日暮里側は上り線側に、岩沼側は下り線側に分岐器が設けられている。一瞬なんか不思議な配線に感じてしまうが、単線区間にある駅なので、これで用は足りていることにはなる。
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 駅舎の対面側になる上りホームには待合室が建てられている。上りホームは待合室と跨線橋がある部分を除いて、ホームの線路側の半分だけが舗装されている。待合室の背後に見える竹藪が見えるが、竹がホーム側に侵入し、未舗装部分でたくさんタケノコが成長していた。
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.08.04.】
 下り列車が駅を出発したところ。駅舎寄りの下りホームは、駅舎の床面レベルから若干嵩上げされているのが判る。おそらく上りホームも嵩上げされていると思われるが、上りホームはフルフラットであった。

◆写真の列車情報◆ 仙セン E721系 P-20+P-番号不明 (写真先頭車はP-20 クハ700-20) 937発 237M[普通]原ノ町→仙台 

 
   
 ●2015.09.訪問時
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.07.23.】
 前回の訪問から14ヶ月が経過していたが、特に駅舎の大きな変化は見られない。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.07.23.】
 駅構内を南側からのぞき見る。仮設の車止めが建てられているのは14ヶ月前と変わりなかった。大きく違うのは、元中線があったと思われる場所が除草されていたことであろうか。
 
 ◆写真の列車情報◆ E721系 編成番号不明 244M 1306着 [普通]仙台→浜吉田<折返>245M 1349発[普通]浜吉田→仙台
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.07.23.】
 写真は駅の南側の、内陸移転の線路の北側の工事起点の付近で、岩沼方向を見ている。バッテンが貼られた信号機は下り用の場内信号機で、その次の単線架線柱から架線が張られており、電気機関車の機回しくらいならできそうな感じである。その次に見える門柱形の架線柱の場所に駅構内南側の分岐器がある。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.07.23.】
 写真は旧線と内陸移転線の分岐付近の様子で、日暮里方向を見ている。旧線はガードレールフェンスの左側を一直線に進んでいた。移転線は右へ緩やかに曲がっていく道路の左側の敷地になる。この時点では移転線には架線柱がカーブして立ち並んでいる様子がわかる。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.07.23.】
 移転線の工事現場に近づくと、すでに線路が敷設されていた。線路上には軌陸車のトラックが停車していることから、この時点でかなりの距離の線路の敷設が実施されたことが窺い知れる。
 
 
   
 ●2014.07.訪問時
【購入日:14.07.25./掲載日:21.07.23.】
 
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.07.23.】
 駅名標の片側の隣駅である「山下」の表記が隠されていた。当時の当駅は常磐"北"線の終端駅であった。再開通するまでに、この時点からまだ2年あまりの月日が必要だった。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.07.23.】
 当駅は電車に乗って何度か通過したことがあるが、訪問したのはこの時が初めて。ただこの当時は震災による不通区間があったため、列車ではなく自家用車での訪問だった。それにしても写真の駅舎の左側の屋根上に立つ長いアンテナがなんとも気になる。これは震災以前からあった設備なのだろうか、それとも再開通をさせる際に取り付けられたものだろうか。後者と考えると、仮の終端駅となったことから、運転指令関係のやりとりが必要になったためと考えるかもしれない。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.07.23.】
 駅舎内は、窓口があって、券売機があって、カードリーダーがあって、1行表示のLED番が設置されて…、って、JR東日本の地方の有人駅らしい内容である。でも室内は綺麗にに保たれており、白い天井と明るい色調の壁板のおかげなのか、変に暗さを感じることがなく印象がよい。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.07.23.】
 ホームから駅舎を見たところ。もちろん撮影に際しては上項の入場券を購入しての立ち入りである。駅舎建屋の周りにひさしが取り付けられているが、その柱を見ていると、携帯電派の電波状況を示すアイコンのようにも見えてしまう。…なんか発想が現代人(笑)。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.07.23.】
 1番ホームから日暮里方向を見る。線路の先には仮の車止めが設置されているのが解る。写真左には、2番線側の出発信号にバッテンが貼られており、なんだかローカル線の末端側が一部廃止になったような雰囲気である。架線は仮の車止めのちょっと先まで張られているが、その先となると饋電終端の標識もなく架線柱自体がなくなっていることが解る。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.07.23.】
 こちらは代行バスの浜吉田駅バス停(上り・相馬方面のりば)。亘理ー浜吉田駅 間が運転再開する以前は停留所は駅前に置かれていたそうだが、浜吉田再開通後も代行バスは亘理駅乗り換えのままとされたもの、バス停だけが国道6号線沿いに移転したそうである。理由としては、代行バスの連絡駅を浜吉田駅とした場合に駅前に複数のバスを滞留させる充分なスペースがないことや、駅と国道6号が2km以上離れているので、駅を経由しないことで所要時間を短縮するためと考えられる。
 ちなみに同じ場所に亘理町民乗合自動車の中原バス停が立っている。この中原バス停は亘理駅を起点とするサニータウン線の終点となっている。写真のバス停は降車専用のポールで、コミュニティーバスにしては律儀に設置したものだと思った(掲載日現在は撤去されている?)。ちなみにこの先500mほど南下した場所に山元町の町境がある。
 
 
 

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