HOME東北JR東日本常磐線

JR東日本 常磐線
木戸 【次の掲載駅】 富岡
竜 田 Tatsuta
 ●2021.08.訪問時
【入手日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 訪問時、駅名標は新調されており、バックは白ではなく金属板に表示されている。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 訪問時、線路の西側に建てられていたかつての駅舎はすでに解体され、旧駅舎があった場所の南側に現代的な建物が建っていた。供用開始は2020(令2)年12月から。
 旧駅舎は震災からの復旧時に屋根の葺き替えなど手を入れられたのだが、老朽化等が影響したのだろうか、修繕後から使用された期間はわずか6年余りしかなかったということになる。
 新駅舎にはバリフリーに対応するためエレベータが設置された。ただこのエレベータはかなりの曲者であった。導線の順番を追って書くと、駅の外側から来ると1階北側の扉からエレベータに乗り、2階南側扉から下りることになる。そして改札口を通り下りホームに行く場合は、同じエレベータに2階北側の扉から乗り、1階南側の扉から1番線ホームに出ることになる。下り列車を降りて駅の外に出るのにエレベータを利用するとこのルートの逆順になる。乗降は常に異なる扉を利用することになるのだが、駅の外側にいるか内側にいるかで扉の動作が異なるという、1基で2つの役目を負っているのである。私はこのタイプのエレベータを初めて目の当たりにしたのだが、利用頻度がそう高くない箇所に設置されるエレベータの新しい形として今後普及していくのかもしれない。でもそう頻度は多くないとはいっても、例えば1階の駅の外側と内側に同時に利用者が現れた場合とかは、一方は長く待たされることにはなりそうだ。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 駅舎の建て替えに伴い、新たに線路東側に駅前ロータリーや駐車ロットが整備され、西側同様にバリアフリーのためのエレベータが設置されていた。こちらのエレベータは改札外での上下だけなので動作はシンプルで、西口のような複雑な機能は無い。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 この橋上駅となった駅舎の入口の様子。駅名表示は柵と同様の円い穴が開いた白い鋼板が使用されており、文字は周りよりも大きな穴のドットで書かれていた。また駅名表示の所をよく見てみると、上下の部分もグラデーションがかかっているように見せるために円い穴の大きさが変わっていた。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 改札口はSuicaの簡易リーダーが入場用と出場用が1対置かれただけの今時らしい感じ。奥に窓口が見えるが、日中の時間限定で委託の駅員が窓口営業をしているようだ。掲載日現在、いわきー原ノ町 間において貴重な窓口営業がある駅となってしまった。
 窓口の横には放射線の線量の表示器が設置されている。線量計を置いておく意味も、今となってはあまり意味が無いように思うのだが…。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 この訪問をしたとき、これまで2番線として使用していたホームは使用停止となって柵が立てられており、変わって上下線の副本線であった3番線が、上り本線の2番線となっていた。ただまだ構内は工事が完了しているわけではなく、上り列車の到着、出発は分岐器の速度制限を受けながらの運転となっていた。
 ただJR東日本のホームページでは、当駅は相変わらず2面3線で案内されている。ということは、これは工事のための一時的な使用停止ということなのだろうか…??
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 241キロポスト発見。でも当駅のキロ程は240.9km。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.01.03.】
 駅に到着するE531系。駅も新しくなり、電車もJR東日本の新系列車輛となると、これがいまだ避難者の帰町が進まない人口希薄地域の風景のようには見えない。

 ◆写真の列車情報◆ E531系 水カツ K454(写真先頭はクハE531-1004) 669M 824発[普通]いわき→原ノ町
 
   
 ●2015.09.訪問時
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.01.03.】
 竜田再開通後にここを訪れるのは2度目だが、駅舎の前に代行バスのバス停が設置された以外は、あまり駅舎周りの様子は変わっていない。
 この駅舎は現在は解体されて、2020(令2)年12月からは新駅舎の供用が開始されている。運転再開に合わせて再整備された木造の駅舎は、整備後6年あまりでお役御免ということになった。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.01.03.】
 この頃の代行バスは竜田駅-原ノ町駅 間はノンストップの扱いで2往復が設定されていた。後に地域の避難指示解除に合わせて小高駅・浪江駅・富岡駅と停車場を増やしていった。2017(平29)年4月の富岡駅停車追加の際には、富岡駅ゆきのチョン行代行バスが9往復設定されたが、北側区間が浪江駅まで再開通した後もしばらくは原ノ町駅(のちに浪江駅)ゆきは2往復のままであった。このバス停は2017年10月の竜田-富岡 間再開通時に役目を終了している。
 
 
   
 ●2014.06.01. 竜田再開通時
【入手日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 再開通初日の竜田駅からの楢葉町内完結のきっぷ。このきっぷはちゃんと使用して木戸駅で下車しているが、木戸駅は無人化されていたので結果的に手元にに残っている。木戸駅で降りた後は、次列車までの時間も空いており、どうせ同じ列車に乗ることになるのであれば…と思い、歩いて竜田駅に戻っている(笑)。ちなみに竜田-木戸 間は営業キロで3.1kmである。
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 竜田駅で配られていた、いわき-竜田 間のポケット時刻表。ポケット時刻表にしては珍しい、フォントを含めて市販時刻表と同じ体裁となっており、こういうタイプは水戸支社管内以外で見たことがない。
 竜田再開通時のいわき-竜田 間の運転本数は下り18本・上り17本(列車性質の異なる上りの草野発1本を含まず)となっており、9往復が竜田発着、4往復が久ノ浜発着、残り4.5往復広野発着となっていた。列車本数的には最終列車の広野ゆきの折り返しがないことになるが、その上り列車は乗務員繰りと需要がほとんど見込めないという判断をされているのか、[回送]でいわきに戻されている。
 画像はクリックすると拡大表示します。

 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 駅を出発する415系ステンレス車。列車は4輛×2編成で、やや供給過剰な輛数ではあるが、朝ラッシュにいわき駅に到着する列車に当てられているので、その流れのまま運用されているというところであろうか。
 
 ◆写真の列車情報◆ 415系1500番台 水カツ K532+K5??(写真後尾はクハ411-1522) 667M 823着[普通]水戸→竜田<折返>666M 833発[普通]竜田→水戸
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 前回訪れたときと比べて、屋根がコンクリート瓦からカラー鋼板のものに取り替えられて、手入れの行き届いた綺麗な駅舎という雰囲気になっていた。駅前には多くの車が停まり、駅には多くの人の姿が見えた。もちろんこれは再開通初日のご祝儀的な賑わいであることは承知のことだが、この状況はほんとに一時的なものでしかないのであろう。
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 ホーム側から見た駅舎。駅舎と同じ長さだけひさしが掛けられている。
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 この時の再開通に際しては、駅舎から一番離れた3番線での折り返し運転となった。おそらく1番線は下り方向、2番線は上り方向の到着と出発の信号回路が設定していなかったため、双方向の到着と出発が可能な3番線が使用されることになったと考えられる。よって再開通区間が延伸されるまでは1・2番線を使用されることは無いということになるので、跨線橋を使わず駅舎と3番線を平面移動で着るように写真のような上下本線を渡る仮設通路が2箇所に設置された。写真は駅舎前に造られた通路で、その奥(岩沼側)にもう1本架けられているのが判る。跨線橋も普通に使えたようだが、再開通区間延伸のために仮設通路が撤去されるまであまり使われることはなかったのではないだろうか。
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 駅の北側にある井出陸前浜街道踏切から岩沼方向を見る。踏切の北側までが駅構内となっているようで、ここまでは線路やバラストの整備が行われたようだが、線路の錆び付きから列車が通っていないことが解る。この写真から推察するに、架線は整備された軌道の先の、交流セクションの標識(架線死区間標識ではない)がある架線柱までで途切れているように見える。またこの踏切も機器等はすべて新しいものに交換されていた。
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 昨年訪れたときには線路脇に多くのフレコンバッグが並んでいたが、さすがにこの訪問時にはその姿はなかった。
 真ん中の線路(上り本線)には、仮の車止めが固定されているのが見える。ホームの上下本線上に仮設通路が設置されているので、入線不可能となっていることでの措置ということが判る。
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 9ヶ月前に訪れた「北田陸前浜街道踏切」を再訪。軌道はゆがみ無く、全くの新線のようにすっかり綺麗に直されていた。線路頭面の金属の輝きは、鉄道が生きてる証拠だ。
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 到着する669M(924着[普通]水戸→竜田)を出迎えるために、楢葉町の職員の方々が横断幕を掲げてお出迎え。右に立つゆるキャラは、地元の有力産品だというゆずをゆるキャラ化した楢葉町の「ゆず太郎」。
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 669M(924着[普通]水戸→竜田)→668M(933発[普通]竜田→水戸)の運転手と車掌を務めるお二方へ、楢葉町職員からの花束贈呈が行われた。写真中央やや右、"開"の文字の右に立つ黒いスーツの方は楢葉町の町長。写真右端に白い制服を着ている人がいるが、水戸支社の関係者の方なのかな…。
 この写真を撮るのに結構人が集まっていたと思うのだが、なぜか成り行きで私はベストポジションをゲットすることができてしまった(笑)。
 
 ◆写真の列車情報(よく見えていないけど)◆ 415系1500番台 水カツ K529(日暮里側) 669M 924着[普通]水戸→竜田<折返>668M 933発[普通]竜田→水戸
 
 
【撮影日:14.06.01./掲載日:22.01.03.】
 ちょっと記憶で定かでない部分があるのだが、669Mには再開通を祝した楢葉町民の方々がたくさん乗車していた。1列車にかなりの乗客がいたことから何らしかか募集がかけられていたのかもしれない。それにしても大挙して降車したわりには、この後ご自宅に一時帰宅でもされたのだろうか、折り返しの668Mの乗客は少なかった。
 まだこの頃の楢葉町は、多くの区域で日中の一時帰宅が可能ではあったが、宿泊は不可の状態であった。避難指示解除はこれから15ヶ月後の2015(平27)年9月のことになるのだが、そのような状況でも常磐線が当駅まで再開通したのは、楢葉町民の一時帰宅の利便や、一部の町役場機能が竜田再開通と同時に町内で再開し、避難指示解除の準備に入ることもあったのかもしれない。
 
 
   
 ●2013.09.訪問時
【撮影日:13.09.07./掲載日:22.01.03.】
 訪問当時の竜田、木戸の両駅がある楢葉町は、2012(平24)年8月から避難指示解除準備区域となっており、許可が無くても日中の立ち入りや一時帰宅は可能であったが、夜間の立ち入りと宿泊は認められていなかった。
 駅舎の前に郵便ポストがあるのだが(写真中央やや左)、収集は当然行われていないので、いたずら防止を兼ねてビニル素材のものでぐるぐる巻きにされていた。いたずらといえば、駅前にはいくつか自動販売機が設置されていたのだが、使用できない状態になっているのは解るとしても、どれもかしこもこじ開けようとした跡が残されていた。緊急避難的に飲み物を取ろうとしたことも否定できないが、大方は町が避難指示で無人であった頃に金銭目的に破壊行為が行われたのではないかと思われる。このとき自販機の写真はあえて撮らなかったが、なんかそんなことしなくても…と悲しくさせる気持ちは今でも残っている。
 当時、写真駅舎の左手には、正式名称は忘れてしまったが、町民ボランティアによる町内パトロールするための"見守り隊"の詰所があり、写真を撮っているときもそこを出入りする車が動いていた。私としては別に悪さをするためにここを訪れているわけは無いのだが、不要不急で場違いにここにいるのは確かなことなので、なんか変な後ろめたさを感じてしまった(笑)。
 
 
【撮影日:13.09.07./掲載日:22.01.03.】
 外から柵越しに駅構内をのぞき見。手前の見えている部分も除染が行われたようで、土が入れ替えられている。跨線橋の方にはダメージは見た目は無さそうだった。
 
 
【撮影日:13.09.07./掲載日:22.01.03.】
 駅構内の南側の様子。おそらく雑草で一面覆われていたと思われる軌道敷きは綺麗に除草されていた。しかしその傍らには白いフレコンバッグが置かれていた。おそらく除染作業が兼ねられており、これらの廃棄物は通常通りの処分が行われないことを示唆している。個人的な意見をいわせてもらえば、よほど放射線量が高くない限りはこの作業は不必要な作業で、除染作業=濃縮と同じなのだから、余計な高線量の廃棄物を作り出しているのではないか、と当時も現在も思っている。
 
 
【撮影日:13.09.07./掲載日:22.01.03.】
 竜田駅から約600m南にある「北田陸前浜街道踏切」から日暮里方向を撮影したもの。遠くの方の線路を見てみると、地震の揺れの影響なのか、線路が所々で偏奇している様子が見られた。また踏切からほど近いところに、ショベルカーの軌陸車が1台停車していた。横に黒いフレコンバッグが置かれていることから、軌道上の除染作業が行われていたと思われる。
 私がこの場所を訪問したのは土曜日だったのだが、驚いたのはその2日後の月曜日、テレビ朝日の「報道ステーション」でまさにこの現場での除染作業の様子がレポートされていて、写真と同じショベルカー軌陸車も放送内で映っていた。
 
 
 

▲このページのTOPへ戻る