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JR東日本 常磐線
駒ヶ嶺 【次の掲載駅】 坂元→ 
新 地 Shinchi
 ●2022.05.訪問時
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.01.】
 
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.01.】
 当駅は列車交換可能駅な2面2線の構内であるが、後述するように2線とも上下方向に発車が可能ということで、隣駅については両矢印表示になっている。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.01.】
 震災で大きな被害を受けた新地、坂元、山下の3駅については、再開通に当たって線路を旧線より内陸側に敷設することになったが、新・新地駅については移転した距離は北西へわずか300m程度に過ぎない(線路の敷設位置だけの比較なら西へ百数十メートルしか移設されていない)。当駅の所在地は津波の浸水エリアであったので、駅は人工的に盛った土地の上となっている(標高は不明)。
 駅舎は直方体で屋根が手前側に傾斜させた、今風のシンプルな外観である。ただ駅舎の撮影難易度は高く、駅前のロータリーに掛けられた屋根が邪魔になり、この写真のように建物をやや斜にして思い切りどアップで撮るしか方法がない。
 駅前にはロータリーがあるものの、路線バスが発着するわけでもなく、タクシーロットにタクシーの姿は無く寂しい。ロータリーを挟んだ駅舎の反対側には、新地町交流センター・観海ホールという大きな建物があるほかには、小規模の真新しい長屋的な商店が建っている。ただ店舗はまだ新しいにもかかわらずシャッターが下ろされた箇所も何か所か見られ、活気が見られない。同じく内陸移転した山元町の2駅(坂元と山下)に比べてしまうと圧倒的に駅前利用の状況に水をあけられており、ちょっと残念な結果となっている。これから先も何か造る予定があるのかもしれないが、復興の拠点としてせっかく整備されたのだから、万が一鉄道利用に繫がらなかったとしても、新地町の行政には人が集まるような場所になるようもっと知恵を絞ってほしいものだ。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.01.】
 駅舎内には窓口が置かれており、新地町により委託営業がされているらしい。他にはSuicaリーダー、乗車駅証明書発券機、インフォメーションディスプレイが置かれているが、券売機は設置されていない。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.01.】
 写真は2番ホームの日暮里寄りから岩沼方向を見たところ。
 旧駅の駅構内は2面3線(山側に対向式、海側に島式のホーム)だったそうだが、新駅は2面2線の1線スルー型の構内となっており、山側の1番線が直線的に通過できるようになっている。構内の信号は両ホームともに上下どちらにも到着、出発ができるように構成されている。列車の運転では当駅で仙台方面へ折り返す列車が設定されており、これは震災前と変わっていない。2016(平28)年の運転再開時の構内は6両編成が列車交換できるだけの有効長だったようだが、2019(令1)年の特急運転開始に合わせて10両編成の列車が交換できるように構内を延長している(ホームは延長されていない)。ということは、貨物列車の運転が再開するとなったときには、また構内の延長が必要になるいうことになるのだろうか?? Googleマップを見ると、駅の北側にさらに駅構内を高架線延長できるような土地が用意されているように見える…?
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.07.01.】
 掲載日当時の列車ダイヤでは日中の原ノ町-岩沼 間はほぼパターンダイヤになっており、当駅で列車交換するようにダイヤが組まれていた。ただ当駅の構内両端の分岐器には安全側線がセットで用意されていないため、同時到着時は列車速度をかなり落としての入線となる。

 ◆写真の列車情報◆ (左) 仙セン 701系1500番台 F2-509+E721系 P-10(写真先頭はF2-509 クモハ701-1509) 1332発 239M[普通]仙台→原ノ町
               (右) 仙セン 701系1500番台 F2-502+F2-514(写真先頭はF2-502 クモハ701-1502) 1332発 239M[普通]原ノ町→仙台

 
 
   
 ●2015.09.訪問時
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.12.22.】
 新・新地駅の駅の建設状況を望遠で撮影…したが、遠すぎてよく判らない写真になってしまった。
 写真右には駅の南側を流れる砂子田川を渡るコンクリートの下路アーチ橋が見える、そして左に見える緑のネットで囲まれた足場が組まれている場所が新・新地駅駅舎の場所になる。付け替え線の工事が行われている新地・坂元・山下の3駅の中では、遠目でも新地駅は工事が他2駅より遅れているように見えた。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.12.22.】
 常磐線の復旧にあたって、新地駅南側から浜吉田駅南側までは新たに内陸への付け替え線をを建設することになった。写真はその新地駅南側の付け替え線の工事起点付近の踏切から岩沼方向を見ている。震災以前の常磐線は直線に線路が延びていたが、新しく敷設された線路は途中から左にカーブしていることが判る。
 訪問した頃の当地の工事進捗状況は、線路とバラストの敷設がされていたが。バラストの突き固めはまだ行われておらず、架線柱の設置もまだ行われていなかった。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.12.22.】
 新・新地駅北側の工事の様子。駅を含む一部の区画は盛り土がされているのが判り、駅が高台の地上駅となることが判る。そして高台を通過した線路は高架線として延長されていた。
 
 
   
 ●2014.07.訪問時
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.12.30.】
 新地駅の代行バスのバス停は、国道6号線の「新地」交差点から東に100mほど入った、新地町役場の前に設定されていた。元の駅からは西へ800mくらいだろうか。別稿で説明するが、バス停は道路の反対車線側にはなく、このバス停で上下双方向の乗降を扱っていた。
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.12.30.】
 代行バスのバス停の近くには、「JR新地駅」と書かれたプレハブの待合室が建てられていた。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.12.30.】
 新地駅バス停を遠景で取る。バス停に停車中のJR東北バスの後ろ(写真左側)に、上項で説明した待合室が見える。後ろの建屋は新地町役場の庁舎。そして手前側が代行バス利用者のための駐車場となっていた。
 上下方向の代行バスは、写真左側にある国道6号線から曲がってきてバス停で乗降扱いをした後、写真右方向に進んだ先にあるバスの転回所で方向転換し、同じ道を戻ってくる。ただバス停は戻ってくる車線側には設定されていないので、バスはバス停を通過する形になる。そして国道6号線へと復帰していく。
 ちなみに町役場の庁舎は、震災の津波が役場の手前で止まったため、津波による被災は免れている。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.12.30.】
 スマホの震災前の地図データを見て、地図にない道路をGPSを頼りにしてこの写真の場所に到着したときは、たまたま正午であった。スマホのGPSは確かにこの場所が新地駅であるということを差し示しているのだが、この景色を見てにわかに信じられなかった。震災の被害もさることながら、区画等の整備工事によってただ平らな土地だけが広がっていた。
 ただお昼だということが幸いして、工事などの作業も昼休みとなり、大型の工事車両の動きも止まっていたので、しばらくこの場を歩いて痕跡探しをしてみることにした。
 ちなみに真正面に見える建物は「新地浄化センター」という町の下水道施設。津波に遭いながらも建物が残り、その後復旧して投稿日現在も稼働している。
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.12.30.】
 当時は、駅としての痕跡が全くなくなってしまったと思われていたが、唯一痕跡が残っていたのが写真の路面。捜索(?)し始めて、早速見つけたのがこれだった。引かれた白線と、写真中央のかすれた"シー"の文字から、これが駅前にあったタクシーの駐車ロットであったことが判った。ここではじめて、ここが新地駅の場所であったということを確信した。
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.12.30.】
 駅舎があったと思われる付近から日暮里方向を見る。これだけ見るとただの造成地のようにしか見えない。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.12.30.】
 上項の同じ位置から岩沼方向を見る。こちらの写真だと、路盤だった部分が掘り下げられている様子がわかりやすい。
 常磐線復旧に当たっては、百年以上列車が通り続けた路盤は地盤がしかりしているから元の位置に線路を通すべきだ、と訴える住民が一部にいた。しかしこのようにあっさりと掘り返されてしまうと、地盤が固いだのという話はあまり意味を成さないということが解る。
 掲載日現在、元の常磐線の路盤は福島県道(宮城県道)38号 相馬亘理線となっている。県道38号線も常磐線同様に内陸移転した道路で、津波対策もあるのか、津波浸水した場所については築堤の上を通る片側1車線道路となっている。元の県道38号線も片側1車線の道路であったが、道幅はやや狭く、線形も直線的ではなかった。この県道は並行する国道6号線の裏道として使われることが多いという。
 
 
 

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