HOME東北JR東日本常磐線

JR東日本 常磐線
夜ノ森 【次の掲載駅】 双葉→ 
大 野 Ōno
 ●2021.08.訪問時
【購入日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 
【入手日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 当駅には特急指定席券も買える券売機が設置してあるにもかかわらず、乗車証面書発行機も設置されている。双葉駅や浪江駅も同様なのだが、これって意味があるのだろうか。常磐線にも無人駅が多くなった昨今、Suicaがあるとはいっても、車掌が車内巡回して運賃収受する様子もないのがすごく気になるのだが…。
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 これでも写真を写したのは日中の午後1時すぎ。訪問時は、もし車を運転するにしてもライトの点灯が必要になるくらい分厚い雨雲で空が覆われた豪雨の最中であった。
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 雨が小康状態となったのは到着から約1時間後。時々雲間から空が見えたり、また強雨が降ってきたりを繰り返す中、止み間の間隙を狙って写真撮影を敢行。
 写真は西口の様子だが、当然ながら駅舎内が使用できるようになった点以外は、1年前と変わらない。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 西口も1年前と当然変わっていない。周辺がほとんど立入禁止区域であるところも、人の姿をほとんど見ないところも変わっていない。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 改札口の様子。無人駅として再開通を迎えるにあたり、特急券も購入できるマルチな券売機が設置され、時刻表や運行情報などを表示するマルチなディスプレイも設置されていた。
 当駅は周囲が原発事故による帰還困難地域だらけということもあるが、豪雨で運転抑止となり、次の上り列車がやってくる4時間近くの待ち時間の間に利用客の姿を見ることはなかった。とはいっても誰も来ないわけではなくて、駅の西口広場にある、町内への立ち入りの管理や線量計の貸し出しをするプレハブ小屋の中で詰めている町の職員と思われる人が、時折駅のトイレを借りにやってきていた。
 いくら駅好きとはいっても、何もない場所で駅から外に出ることもできないというのは、なんともいかんともしがたい状況という外にない。唯一の救いは駅舎内に飲料の自動販売機があったということだけだ。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 ホームの岩沼側から駅舎を見る。駅舎は1988(昭63)年に建てられたものだが、再開業に当たっては大幅なリニュアールが行われ、"昭和"感は特に感じるところがない外観になった。それにしても棒線駅化されて片側に柵が立てられてしまった島式ホームが恨めしい。いつか、交換駅として復活できるのだろうか。
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 ホームから、アスファルトで舗装されてしまった元上りホームの軌道敷を見る。
 常磐線の全線再開通に当たっては、複線であった大野-双葉 間の上り線側を緊急避難用道路として整備された。この目的が今ひとつはっきりしないところなのだが、もし万が一何かの理由で福島第1原発で放射線漏れ事故が発生した場合に、一般道より線形のよい軌道敷きを利用して双葉駅方向へ速やかに避難できるようにした…ということなのだろう。とはいっても、当駅のある大熊町がどのように考えているのか判らないが、入口が大野駅に限定されているこの道路を使用するよりか、複数の一般道路を建前上の除染を行って再整備した方が速やかに待避できるのではないかと思ってしまう。それにこの6km弱ある抜け道もなく追い越しもできない一本道で避難中に事故でも起きたら、後続車は脱出困難に陥るリスクがあるとは考えなかったのだろうか。せっかく震災で倒壊してしまった双葉駅近くの前田川橋梁も複線で使えるように復旧したのももったいないし、この避難道路が大野駅構内から双葉駅構内で整備されて両駅が棒線化したことによって夜ノ森ー浪江 間の15km以上が単線となり、ダイヤの融通が利かなくなったばかりか、発生したダイヤの乱れを立て直す力が損なわれてしまった。双葉郡域の常磐線の利用者の増加にあまり期待できないことや、泉-岩沼 間で貨物列車の運転が再開されていないこともあり、交換駅を減らしても問題ないとJR東日本は判断しているのかもしれないが…、本当にそれでいいのか? と思わずにはいられない。近年は些細なことでも運転を見合わせることを易々と行うことが多いので、東北本線がダウンしたときに常磐線に貨物列車を迂回運転させる想定を早く考えたほうがいいのではないかと思う。
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 駅構内の岩沼側に立つ258kmのキロポスト。下り列車の5輛編成のE531系の停車目標とほぼ同じ位置だ。
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.03.】
 豪雨の中、駅を出発していった列車。この写真の雰囲気だと夕方近い感じだが、これでも午後1時を回ったばかりであった。この列車を最後にして富岡ー浪江 間で雨量規制値を超えてしまい、以降3時間ほど運転抑止となってしまった。

 ◆写真の列車情報◆ E531系 水カツ K454(写真先頭はクハE530-2004) 675M 1306発[普通]いわき→原ノ町
 
【撮影日:21.08.09./掲載日:22.02.0.】
 雨量規制による運転抑止が解除されてから初めてやってきた列車は「特急 ひたち13号]だった。たまたまではあるが運転の遅れ自体は数分で、運転再開に狙い澄まして走ってきたような列車であった。一方でこの後続列車で当駅を特急の14分後に発車する予定であった下り[普通]679Mは、この写真の[特急]と浪江で交換する(始発の原ノ町を1時間以上遅れて発車した)上りの[普通]678Mと夜ノ森で交換することになったために、ほぼ定時で走ってきた夜ノ森で30分以上抑止されることになってしまった。こうなると、ますます大野・双葉の両駅を棒線化してしまったことを悔やまずにいられない。

  ◆写真の列車情報◆ E657系 水カツ K12(写真先頭はクハE657-14) 13M 1611発(定刻1604発)[特急ひたち13号]品川→仙台
 
   
 ●2020.03.11. 富岡-浪江 再開通直前
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.11.】
 常磐線駅施設の敷地と駅まで繋がる道路の立入規制解除は2020(令2)年3月5日に実施された。常磐線全線再開通のタイミングで最後に再開される駅は3駅あるが、駅の周辺事情が最も厳しいのは当駅かもしれない。原発事故発生後の駅の北(岩沼)側付近は原発事故後の放射線量が特に強かったエリアのひとつで、現在でも除染が終了していないところが多い。そういうこともあるのか、駅を降りても周辺に利用できる店や施設は皆無で、児童公園でさえも立ち入り禁止で、駅を離れると道路以外に行ける場所が無いのである。駅近くの病院が再開する予定があるとはいえ、訪問時で最も近い住民が生活している地域までは駅から2km以上も離れている。
 
 
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.11.】
 駅東口を見る。駅舎自体は1988(昭63)年に建てられたもので、訪問時は再開通に当たってリニュアール工事が終わった状態であった。駅は開業前なので、当然に中に立ち入ることはできない。ただ駅舎のガラス越しに中で何か作業している方の姿が見えた。東口の駅前広場は広大で、バスは6台分、乗用車は30台分くらい停められそうだ。駅と生活の場所が離れているということがあるにしても、これだけのスペースが埋まる事なんて発生するのだろうかと思ってしまった。
 
 
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.11.】
 駅西口のようす。かつてはこちらがメインの出入口だったようで、駅前広場を出ると短いながらも商店が連なっている。しかしいずれの商店も帰還困難区域にあるため、9年間も自然になすがままにされた状態になっている。これはシャッター通り商店街よりもひどい状況である。いわゆる普通の駅前の賑わいを取り戻すのに、あと何年かかるのだろうか。
 
 
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.11.】
 駅舎としては立派なものが建っているが、再開時の構内は島式1面1線で、上りホーム側は線路は敷設されず、しかも柵が立てられている。当面は列車交換設備は復帰しないらしいが…。
 
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.11.】
 種類は解らないが、かなり花が開いているおそらく寒桜?越しにホームを見る。ホームの手前側は元は上り線で、BRTを思い起こすように路盤がアスファルトで舗装されている。今後復旧させるときの予備工事だろう、と思っておくことにする。
 で、この桜だが、帰還困難区域の民家の敷地から、立入制限解除区域の駅前広場に枝を伸ばしてきたものである。自然はいつでも逞しい。
 
 
 

▲このページのTOPへ戻る