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JR東日本 常磐線
桃内 【次の掲載駅】 磐城太田
小 高 Odaka
 ●2015.09.訪問時
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.11.23.】
 14ヶ月ぶりに訪れた小高駅は、復旧工事のため駅舎と跨線橋は工事用の足場とネットで囲まれていた。駅舎の前に置かれていた飲料の自動販売機は撤去され、また自販機の隣にあった立木も切られてしまっていた。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.11.23.】
 駅のすぐ北にかかる県道260号北泉小高線の跨線橋から駅構内、日暮里側を見たところ。14ヶ月前の駅構内の軌道は緑に一面覆われていたが、訪問時は整備がかなり進んで、2面2線+中線の配線がよく判る。バラスト敷きと地面の境界がはっきり分かれており、ちょっと模型的にも見える。2016(平28)年7月の小高までの暫定復旧時には、右側の下り本線上に仮設ホームが設置され、写真ではホームがない中線で仙台側からの折り返し運転に対応させていた。
 写真左のホームが上り用になるのだが、ホーム端がすぼまった形状になっているのが判る。これはもしかしてかつての上りホームは外側にも線路が敷かれていたのだろうか?
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.11.23.】
 駅の岩沼側の様子。一見すると軌道の新設工事が進んでいるような感じであるが、架線柱などは新品ではなかった。それと明らかに様子が違うのは線路際に置かれた数多くのフレコンバックだ。まだこの当時は様々な場面で土壌の除染作業が行われており、旧・避難指示区域内の常磐線についても再開には除染が必須となっていた。
 当駅のある小高区を含む南相馬市の南部は、2012(平24)年4月には避難指示解除準備区域として一般の立ち入り、一時帰宅、事業再開が可能になっていたとはいえ、宿泊を含めた避難の全面解除になるのは2016(平28)年7月のを待たなければならなかった。常磐線の運転再開については、当駅の北側の小高ー原ノ町 間は市南部の全面解除と同日、南側の浪江-小高 間は9ヶ月後の2017(平29)年4月。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.11.23.】
 駅から南へ600mくらいのところにある「北の内踏切」から小高駅(岩沼方向)を見る。こちらもすっかり除草されて、線路の頭頂が輝いていないこと以外は全くの普通の軌道の状態であった。
 踏切からちょっと行った先に、両開きの分岐器があるのが見える。14ヶ月前に訪問した時にはこんなに踏切から近い場所に駅構内が迫っているとは想像だにしなかった。しかし改めて写真を見返してみると、14ヶ月前も架線は張られた状態であったのだから、気をつけて見てればこれは解る答えだった。
 
 
   
 ●2014.07.訪問時
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.23.】
 この写真を撮影したとき、当駅がある小高区を含む南相馬市南部は原発事故による避難解除準備区域となっていたため(日中の立ち入り、一時帰宅、事業再開は可能)、当駅は営業休止状態で、当然列車の運行もされていなかった。でも駅の復旧を願っているのか、駅の入口部分には相馬野馬追で使われる騎馬武者の旗が掲げられていた。
 一見したところ駅舎には大きな損傷は見られないが、尾根部分に当たる屋根の冠瓦はかなりの部分が崩れたようで、ビニルシートで仮補修がされていた。駅舎の前に置かれていた飲料の自動販売機も稼働していなかった。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.23.】
 駅のすぐ北にかかる県道260号北泉小高線の跨線橋から駅構内を見たところ。この頃はまだ復旧工事は手つかずの状態で、構内は線路上だけではなくホームも緑に侵蝕されていた。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.23.】
 上項の写真とほぼ同じ場所から、岩沼方向を見たところ。こちらも軌道上は一面緑に覆われており、敷地の境界も解らないような状態だった。これで架線柱や架線がなかったら、本当に軌道の位置は一見しても解らなかったかもしれない。

  
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.23.】
 写真は駅から南へ600mくらいのところにある「北の内踏切」。列車の運転が行われていないことから、遮断桿は外された状態であった。ただ遮断桿を上下させる遮断機だけは更新されたのか、塗装も新品同様のようであった。
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.23.】
 上項の踏切の中か小高駅方向を見る。このあたりは雑草の伸びはそれほどでもなく線路の状態が見ることができたが、すっかり赤くさびてしまった状態は使用停止された線路のようで、現役線とは言いがたい状態だった。
 
 

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