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JR東日本 常磐線
浪江 【次の掲載駅】 小高→ 
桃 内 Momouchi
 ●2020.03.11. 富岡-浪江 再開通直前
【入手日:20.03.11./掲載日:20.03.13.】
 
 
 
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.13.】
 初めて当駅を訪れたのは、まだ当駅での運転が再開されていない2014(平26)年の夏だった。駅は雑草が伸び放題で、後ろの建屋と同じくらいの背丈がある雑木も生え、雰囲気は廃駅然としていた。
 今回の訪問は3度目となるが、すっかり普通の駅の表情を取り戻していた。
 
 
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.13.】
 駅舎(というか待合室)へ上がる階段には、東京五輪の幟で飾られていた。
 2020(令2)年3月のダイヤ改正後、当駅は常磐線で唯一Suicaが使用できない駅になった。というのも、改正後は南隣の浪江駅までが首都圏エリア、北隣の小高までは仙台エリアに拡大されるためである。このエリアの区切りは、双葉郡域(常磐線では広野(正確には久ノ浜)~浪江)はいわき・水戸・東京方面へ、相馬郡域(同、桃内~新地)では仙台方面への指向する傾向があるという背景が、おそらく理由と思われる。そうすれば南相馬市内の桃内駅も仙台エリアに入れてあげればいいのにとも思う。
 ただ2020年春のダイヤ改正で列車の運転系統が原ノ町で分割されるので、小高・磐城太田の両駅はSuicaエリアが仙台なのに、列車はいわきへは直通するけど仙台へは乗り換えが必要と、どっちつかずの状況になってしまった。ならいっそうのこと首都圏エリアと仙台エリアを統合すればいいのではないかとも思うが、例えば鈍行のみで上野から大宮へ行くのに岩沼経由するという一筆書きSuica利用が成立することになるので(笑)、意図的に統合しないのかもしれない。でもいつかは統合しないと言っていられない時が来るのだろうけど。
 でもその反面、首都圏エリアなら浪江ではなく、また仙台エリアなら小高ではなく、当駅まで長距離のきっぷを購入することによって、途中下車が可能で2日以上有効ながきっぷを作り上げることができるという裏技が使えるメリットもあるわけだが。
 
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.13.】
 訪問時の当駅は、単純に上下列車が交換できる2面2線の構内となっていたが、かつては2面3線だった。最初に訪れた時には雑草の中に線路が埋もれ、架線も残されていた。…ということで3番線の様子を柵越しにのぞいてみると、綺麗に線路は剥がされていた。しかも架線などもない。おそらく3番線が復活する見込みはなさそうだ。
 
 
【撮影日:20.03.11./掲載日:20.03.13.】
 駅に入線する仙台区の719系編成。2020年春のダイヤ改正以前の浪江-原ノ町 間は、上下の1番列車のみが701系の2輛編成、他は719系の4輛編成が使用されていた。改正後は原ノ町で[普通]列車は系統分離されたような運転体系に代わるため、今後当駅には勝田区のE531系だけが停車することになる。よって当駅での719系の風景も見納めだが、これをもって719系0番台の全車運用離脱も考えられなくもない。

 ◆写真の列車情報◆ 仙台区 719系 H-41+H-19(先頭はクハ719-41) 定時1202発(実際は所定より約10分遅れ) 128M[普通]原ノ町→浪江。
 
   
 ●2015.09.訪問時
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.02.23.】
 前年の7月以来、約1年あまりおいての再訪問。このときは国道6号の通行が再開していたので、前回に比べて車での訪問は実に楽であった。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.02.23.】
 駅の出入口付近から跨線橋を見る。状況としては、1年前の訪問から特に進捗があるわけでもないので、様子は1年前と特に変わった様子はない。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.02.23.】
 駅の出入口付近から岩沼方向を見る。
 1年前に訪れたときに通電する音が聞こえた写真左端のホームのモニターだが、この時にもう一度確認したときには通電音がしていなかった気がする…。確認したはずなのだがイマイチ記憶が定かではない。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.02.23.】
 1番線ホームのトイレの前は、1年前に訪問したときよりも盛大に雑草が成長していた。人の手が入らないとせっせと自然に還っていくんだなぁ、と改めて感じてしまった。自然は実に大胆でマメである。
 
 
   
 ●2014.07.訪問時
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.02.23.】
 この訪問当時は浪江町に一般人は立ち入れなかったので、当地は仙台側から太平洋側を南下して行くことができる南限の地であった。
 この訪問当時いわきと原ノ町の間を移動するには、国道6号線は原発事故の影響で双葉郡内の一部で一般車の通行が許可されておらず、阿武隈山地を縦走する"名ばかり国道"の399号も同様に通行できなかったため、阿武隈山地の西側を縦走する国道349号を使って移動せねばならず、結果、片道で田村市船引・川俣町経由のプラス60kmほどの大回りで、休憩込みで2時間弱も所要時間が余計にかかり大変だった。そして原ノ町から南下してやっと当地にたどり着いたときは、それだけで達成感を感じてしまった。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.02.23.】
 待合室しか備えていない建物を駅舎と呼ぶことに多少の抵抗があるが、震災から3年以上経過した駅舎は何事も無かったかのように佇んでいた。建屋にあった乗車駅証明書の発券機は、当然ながら稼働していなかった。通路に掲示された時刻表と運賃表は震災当時のままであった。でもよく思い返してみると、震災当日はダイヤ改正日の前日だったので、2011(平23)年春の新ダイヤを迎えることができなかったということになる。用意されていたであろう新しい時刻表は、一度も日の目を見ることがなく処分されていったのだろうか。
 駅舎の右側に電話ボックスが見えるが、このボックスの中は名も知らぬ草がいい感じに育っていた。通気性の保たれたガラス張りの閉鎖空間が"温室"として最適な状態であったのだろう。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.02.23.】
 駅の日暮里寄りに掛かる跨線橋。跨線橋自体は損傷はなく、中の通行は可能であった。それにしても跨線橋の前後のわずかばかりの区間の路盤は、除草剤でもまいているのかと思えるくらい雑草はあまり生えていなかった。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.02.23.】
 下りホームの跨線橋出入口付近から岩沼方向を見る。本来ならレールの上は車輪によって磨かれて銀色に光っているはずだが、何年も列車が通らないせいでレールはすっかり赤錆に染まっていた。
 写真左に見えるホームのモニタ-だが、そばに行ってじっと耳を澄ますと、何やら通電していることを窺わせるような一定の高さの電気的な音が聞こえた。まさかこのモニタ-は、震災で運休してから数年も経っているというのに、やって来ることがない列車をすっと待っているのだろうか。
 
 
  【撮影日:14.07.25./掲載日:22.02.23.】
 1番線ホーム中程に立つトイレの建屋。壁には国鉄時代から使用されていると言われても信じられるような、レトロチックな駅名標が掲げられていた。
 それにしても長い間使用されていないと、トイレの中でさえも雑草は立派に育つんだなぁと思ってしまった。
 
 
  【撮影日:14.07.25./掲載日:22.02.23.】
 3番線ホームは、架線や線路は残されていたが、軌道敷は雑草で覆われていた。先に見える架線柱の饋電吊架線が曲がっているようにみえる。
 でもこうしてみると、1・2番線に立てられた架線柱とは別に建てられた架線柱で架線を吊っていることから、この3番線は電化後に増設されたホームなのだろうか?
 
 
 

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